あくまでも私個人の話
環境
幼少期は平和でした。小学生高学年にはすでに平和は遠のきつつあり、それ以降は悪化が加速的に進行しました。
不幸な家庭はいろいろあるが、幸せな家庭はたいてい同じ。みたいな言葉を聞いたことがありますが、ウチの場合はバイオレンスあり、各種破壊あり、という感じでした。で、一応長年影響が残っていましたが、いろいろあってそれはそれで苦しんだものの、その苦しみ体験がショック療法みたく働きとなるようなこともあり、運良く随分機能不全家族の影響から解放されました。
心体がこんなに軽くなるなんて奇跡だ!と素直に喜んでおります。
生きていることが嬉しいと実感する日が来るなんて僥倖だ!とありがたいと思っています。
そんな私が過ぎし日を超客観視したようで、最近、あ!アレに似てたわ。と例えに適した映画がひらめいた。
映画「エクソシスト」である。
簡単に書くと、映画「エクソシスト」の主人公は幼少期は平和、途中悪魔憑き、その後悪魔祓いが叶ったという設定で穏やかさを取り戻したが、本人に暴れていた時の記憶はない。
そういえばアレ似てるな~とひらめいた。数日前。(笑)
いや、笑い事じゃなくて、本当に大変だった。暴れっぷりが悪魔級なんだから。
緑のゲロは吐かないが、本物は吐き、暴れ、その後始末を子どもがするから地獄絵図だが、この例えはその中のほんの一部。不安定な親の介護(相手)を配偶者は逃げて手を出さず、逃げられない子どもがそれをするような状態が結構長かった。しかし外では(学校)ではそんなことはおくびにも出せず、明るくしていた時もあるし、クサクサと荒れていた時もあれば、不安定だった時もあったが、ウチの実情を他者は知らないわけで、そういう面でサポートしてもらえるようなことはなかった。親戚にも随分お騒がせしたが、やはり実情は知らない。親戚の目に触れる時は悪魔も少々おとなしくなる。だから本当のフリ切った状態を知らない。
しかし、このような体験は全然珍しくない。先述したみたいに、機能不全家庭って予想より多いと思う。だから、逃げられず生き抜いている、逃げられず生き抜いてきたサバイバー達を同志のように感じることがある。
しかし、育った環境の影響で心が痛み過ぎて、現実に耐え切れなくて心の活動が停止してしまうケースもあるだろう。感性・感受性を閉じて失わないと生き延びていけなかった方もいるだろう。だから感情反応も表情も薄い場合がある。
思考は教育で形成されていく一面があると思うが、成長することとか、学び欲とか、それらの喜びに触れる機会損失があるし、自分を大切にするとか、自己愛とかそれがどういうものなのかわからない方も多い。
悩みの本も売れるし、心理学に多くの方が興味をもったりするのも苦しみからの突破口をなんとか見つけたいという希望の表れだと思っている。かく言う私も、とにかく生きづらさの救いの糸口を得たくて本を沢山読んだ。

Susann MielkeによるPixabayからの画像
地獄絵図だと思っても性善説にすがりたい心理
機能不全家族の典型的な例
ちなみに悪魔憑きのようになったのはウチの母だ。そして本人が暴れん坊の時期の記憶が無いのも同じ。記憶が無いばかりか、私は被害者だという立場を死守しておられる。配偶者の父も自分が被害者だと思っていた。子どももそう思ってる。しかし、こういうことも含めて「型」がある。特別ではないのです。
薬物やアルコール依存症や精神疾患の場合にこういったケースが起こったりするので、その家庭を機能不全家族(家庭)と呼び、その環境を生き抜いた子ども達をサバイバーとよんだりする。
家族に薬物依存やアルコール依存症、生活を脅かす各種依存症や精神疾患者がいて機能不全家族になるケースは珍しくはなくて、その影響を受けていろいろ生きづらい、苦しいと感じる方は多い。その瞬間のご本人も苦しいし、家族も苦しい。
また、数年前からこれらの1つのジャンルに「毒親」という名称が現れた。
そして割と多いのは、その後ご本人は覚えていなくてケロッとしているが、家族(主に子ども)は相当長く影響から抜けられず苦しむ負のループ。
ご本人にとっての治療やサポートは様々ある。機能不全家族の構成者の治療やサポートも様々ある。これらの支えを利用、活用する方もいらっしゃっるが、なかなかそういう機会に巡り合えない方もいる。なぜそうなったのか?は簡単な話じゃないといつも思うが、治療とサポートを受けるにも継続は力なりだと根気よく続けていくのが一番の近道だと思う。
そう、どこかの段階の誰かが、ちゃんと考えて、行動を変えない限り世代間連鎖を起こす。脈々と続いちゃう。これが悲劇。これも悲劇。悲劇の連鎖もフラクタル性がある。
しかし向き合ったり、ちゃんと考えたりするのは結構キツイ。しんどいから途中で放棄してしまう。しかしそれを責められない。どこまで何をやるのかは他人はコントロールできない。
わたしもコツコツと自己理解を進めた。自分の暗部も受け入れるのもなかなか体力が必要だった(過去形、慣れてしまえば淡々とできる)。それが実を結んだのは単なる幸運かもしれないが、回避、逃避し続けなくて良かったとは思ったし、そのおかげで自分が好きになった。報われたと感じられた。
自分を愛する? どーゆー感じ?と思っていた過去の私が、その先の将来「自分が愛おしい」と感謝の念がわくとは全く想像できなかった。想像もしていなったことが叶ったわけでラッキーでした。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像
良き教えが足を引っ張る?
”家族(主に子ども)は相当長く影響から抜けられず苦しむ負のループ。”と先述した。
※親も誰かの子どもなのだが
その負のループの一端を担うものに、「性善説への固執」があるケースもあるような気がする。良い教えであるだろう「性善説」が呪縛のような働きをしてしまうケース。
いろんな視点をもって現象を理解するのではなくて、性善説という「見たいようにだけ見る。」ことが良き事ということ意味となり、本人の思考の広がりをブロックしてしまうケース。
自分の苦しい体験を「夢だといって、幻だと言って欲しい」「世の中(人間)は良いものだと信じたい」みたいなすがりつき、一縷の望みになるのかもしれないね。少なくとも私は長年「性善説」を信じたかった。実はこれも見ている事実の歪曲でしかないこともある。だって家では映画「エクソシスト」さながらの狂乱が起きているし、ウチの家庭を可哀そうだと遠巻きに見ている親戚はいても護ってくれるくれるヒトはいない。「性善説」はいずこへ? それでもそれを信じたい気持ちと、そんなものは無いと思うと善き人から堕落するのではないか?という恐怖。これは矛盾だし葛藤だ。
「良い教え」と「悩み相談の回答」を一緒にしちゃうと、余計に苦しくなる時がある。悩み相談は、良いことも悪いことも現状把握して、何をどう考えて、どう感じたのか?が大切ですよね?悩み相談は裁判じゃないんだから。
全てではない。そういうケースもあるという話。
でも、エクソシストみたいな狂乱を見ながら「性善説」にすがりたい矛盾を未成熟な状態では消化できていなかった。このようなことも自己理解に含まれると思っている。

負のループは抜けられる
おかげさまで、今は過去最高に幸せだ。若い頃から人生をやり直したい方もいるが、私は全く過去に戻りたくない。もがいて、悩んで、苦しんで、考えて、その時できる精一杯をやってきた。それが講じてどんどん楽に、幸せになっているのにわざわざ今を放棄しない。
将来はわからないが、今は悔いがない。
だから機能不全家庭の体験者のお気持ち(苦しみ)は察するに余りある。
しかし、今より生きやすくなるよ。という可能性があることも知っている。ゼロじゃないと思う。
不幸自慢競争からは脱出しよう
世の中で出会う方に、ヒト様の大変な話を聞いて、時として、私の方が不幸だった。とおっしゃる方もいるが、キャパシティーは個々に違うし、他人様の本当の大変さなど簡単にはわからない。他人をすぐに見抜けると自負されている方もいらっしゃるが、自己理解が奥が深いと身をもって実感すると、その自負は引き算してもよいかと思う。
私の方が不幸だった。とおっしゃる方があなたの身内でも友人でも距離を置くことをお勧めする。その方はあなたの話を聞くつもりも余裕もない。おそらくあなたを思いやる余裕もない。そのご本人も大変だろうが、あなたを不満のはけ口にしているなら、結果そういう方といるとあなたの自尊心が育ちにくい。ただ負のループに引き込まれてしまうだけだろう。
あなたは相手の過去も変えられないし、その方の今も将来もコントロールできない。
苦しみと向き合う
相談業者に、予約してお越しになる方はいろんな体験と価値をお持ちの方がいらっしゃいます。相談者ご自身でまずできることは何だろう?という作戦会議をするケースもあります。ただただ話を聞いてほしいという方もいらっしゃいますし、施術を受けて身体からストレスにアプローチしたい方もいる。
できることから順にやっていくことをお勧めします。

株式会社ハートフルサンク さまの作成された画像
機能不全家族に割と高頻度で登場するアレコレ
神秘体験や不思議体験、見えるもの、聞こえるものは脳的には精神的にもいかようにも生じるということを体験として何度も学んだ。
それらが別に秀でているわけでもないケースも多いし、脳や精神のバグや暴走だということもある。薬や集団催眠、アルコール他の作用でもなんでも見えるし、なんでも聞こえることも私個人は薬物やアルコール依存を体験しなくても想像することは易い。それに意味などないケースも多い。集合意識に触れた?と感じたとしてもそれはそう思いたい願望が創り出した映像と体感だったかもしれない。不思議体験=集合意識 と即座に信じるのも自由だけれど、あまり短絡的なことをしていると精神や脳が少々厄介なことになるケースが多い。多分禅病に含まれていく。
現象ではあるが、意味など無いこともある。見たいように見て、聞きたいように聞いて、意味づけしたいように意味づけていることもある。解釈1つで、「霊的に」という意味づけもできる。
だからと言ってはなんだけど、私はこの手のことにシブい。
そう感じることはそのまま受け止めるが、真実とか意味づけについてはシブい。
神秘も不思議も無いとは言わない。あるだろうとも思う。が、この手のことって流行ると「自称」さんが一気に増える。それこそが共鳴の法則だ。
その気になるだけで、いろんなものが見えたり聞こえたり、語り手である自分が気持ちよくなるって当たり前に人間にある。
しかしですね、これらが「救い」のような役割をすることも多いと思うんですよ。だからこれらを全否定して、戦うつもりなんて全くない。ただ、シブいだけです。

John HainによるPixabayからの画像
それに乗らない。という判断もある
本当に透視できたり、超能力みたく行為ができる方もいるとは思うが、当たり前にいつでも安定してできる方はそれほど多くないと思っている。見たいように、聞きたいように、感じたいように感じる能力を持つ方で、物語を語りだす方はとっても多いし、物語の味付けもどんどん濃くなるし、趣向を凝らしてくることを散見すると個人的には感じる。自己暗示と承認欲求も進行していくのである。
それが人間の脳であり、精神であり、自我の反応だと思っている。
だから私は、それらについて判断したり、真偽を考えたりすることについて「私にはそれほど意味が無い」とした。世の中に私が門外漢な分野って山ほどあるからさ。と分類することにした。
私もヒト様の脳内にリンクするような体験があったが、あるならしょうがないし、無くなってもそれはそれ。執着することではないし、それがなくても十分幸せだ。体験することで現象の1つの理解が進んだことは良かった。

ramazan balayevによるPixabayからの画像
サタニストと分類する理由
”それでもそれを信じたい気持ちと、そんなものは無いと思うと善き人から堕落するのではないか?という恐怖。これは矛盾だし葛藤だ。”と先述しましたが、こーゆー「何かを知らないと、何かを信じないと、何かの教えを実行しないととある集団から脱落してしまうのではないか?」「善い人間じゃなくなっちゃたら見捨てられるんじゃないか?」「知りたい知りたい。という欲求。」というところを揺さぶる行為をサタニストと分類されたのではないだろうか?
こちら ↓ 投稿を目にして知った言葉「サタニスト」。本を読んでおらず、著者の言いたいことと私が書く内容が全然マッチしていない可能性がありますのでご了承ください。
——–

Carlos VilladaによるPixabayからの画像
難しいこと
世の中、生きていると、難しいことは沢山あります。
機能不全家庭の影響をクリアにすることもハードルが高いし、自分を労わる方法を間違えないことをそう感じる時があるし、愛の無いものに愛があると思いたがってると認めることも難しい時があります。
難しい時があるし、間違えちゃうこともあるんだけど、試行錯誤しながら自分と環境を冷静にみることや考え続けることも本当に難しい。
大変で難しいんだけど、何年が経過した時に楽になってきている自分に気が付ける時がある。「あなたは報われる」と保証はできませんが、継続は力なりだとは思っています。

S KによるPixabayからの画像
