認知の課題と潜在意識の話

バランス調整・ストレスケア

頭がぼぉーーっとしました

記事を書き終える前に集中力が途切れかけた

前回、いつもより長文でしたよね? 記事を書き終える前に集中力が途切れかけて、アップする直前は頭がぼぉーーっとしました。知恵熱か?

 

私は仮説を書いている。嗜好を書いている。パターンだと感じたことを書いている。これは自分の独り言。エンタメですらない。これはエンタメです、と称して突破する手法もあるけど、私にはエンタメの意識などゼロです。

例えば集客とか、スクールビジネスとか、新しいビジネススキーム検討・移行について前回今更ながらの古い仮説、そんなの皆知っているよ話、従来も同じだったじゃん話を書きましたが、対ヒトとのコミュニケーション形態がやはり変化しているエリア・世代はあるなぁと感じるし、時代に伴う価値観やルールの変化を感じます。

ですから、お仕事面では、過去ではなく、現在結果を出しておられるコンサルさんに相談されることが王道かと思う。バスっている健康情報発信者の動画内の陰の声からして同じ動画コンテンツ会社を利用されているらしいってことはあの動画コンサルさんは結果出してる。

それこそ、タイパやコスパを考えたり、出費しないことを優先するのであればAIに相談されることだって選択肢に入るだろうし、それは利用者側と同じ選択様式となり、利用者の気持ちが理解できる良い機会かと思います。

著名人であれば(私が知らなくてもその業界で有名になれば)、コンサルさんとか入れなくても個人の魅力で充分成り立っている方もいらしゃるみたいだし。(新しいビジネススキームでは著名人なら成功するとは限らないらしい。王道はあっても保証はないってことですね)

 

isuzu1202によるPixabayからの画像

狭い活動範囲から世間を感じる

私はTikTokもXもやらないし、Lineのビジネスアカウントを閉鎖したくらいだし、新聞・テレビを見る環境でもないし、昨今は海外旅行にも行ってないし、行動範囲も情報・世間の情報に触れる範囲も非常に狭いです。

昨日知ったのは、占いもAIを利用するのが既に流行った(過去)そうだ。いつごろかはわからないですが、その占いもAIの情報源がネットなのでそりゃあ多岐にわたりまして、○○的にはどうだとか、○○占術ではどうだとかで色んな手法による結果を1発で提供してくれるそうです。これを知っても私はそれを試してみようとは思いませんが、相談業は先人の推察通りAIに置き換わっている。

人間が行うが故の機微などは考慮されていないが、前回の記事を引き継ぐとAIも機微を取得してますよ的なことでしたね。

語学勉強も人間に習うよりも対話型のスタイルを構築しているAIが良いとおっしゃっている方もたびたびお見かけする。自分の都合の良い時に、知りたいように教えてくれる。

私自身が歴史が苦手、この手の暗記も苦手、いや、歴史ってウソが伝承されていることが多そうだとか、捏造されるとか、過去じゃなくても今が後世に伝えられる際にも誰かやどこかの都合の良いように選別されて再構成されるよね。みたいなこともあって、そもそも歴史に興味が持てないのですが、しかしそんな私も今この社会がこうなっているのはなんで?と興味を持てるきっかけができた際に歴史をAIに教えてもらいました。正しいかどうかはわからないけど、回答はわかりやすかった。

知らない分野について大まかなことを調べる際に、従来はネットサーフィン(もう死語ですが)、今はAIでそれは便利でありがたいですが、そこに対話機能がプラスされたことで一気に人間側が変わったわけですね。

Mohamed HassanによるPixabayからの画像

話は聞いてほしい

そのような日々の対話相手にAIを利用している方って、その対話が対人間となるとメンドクサイ、億劫だ。みたいな感覚ってあるのかな?あっても不思議じゃない。

AIは対話しているうちに学習して育っていくそうだから利用者のストレスにならないように出来上がっていくかもしれないし。まぁ社会生活していたらほぼほぼその多くのストレスを感じる原因は対人間のコミュニケーションであったりしますしね。

人間社会の中に生きていても自分の話を聞いてくれる存在は少ないのでしょうか。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

私のようなこういった情報発信も、動画類も含め、話(情報)をする側は多いけれど、話をご本人のペースで聴いてくれる側にはAIだけがいたみたいな感じかな。

こうなると、俺(私)の言うことを(情報)を聞いてくれ!は

Taker?

Giver?

Matcher?

発信側の目的・価値観によるから一概には言い切れない。

私の場合は、冒頭に書いたように”仮説を書いている。嗜好を書いている。パターンだと感じたことを書いている。独り言。”の色が濃いので、あなたがこれを読んでストレスに感じるのなら読むことをやめて欲しいと以前からお伝えしていますし、あなたの世界と私の世界が接することがなくてもあなたの幸せには何の影響もないのでご自身の幸せを優先して欲しい。

 

そして再度前回のブログから引き継ぐと、人間側は「AIは無私の心的な立ち位置」のつもりで対話相手として利用していたら、AIも目的・価値観を持っていますよ。今後もっと持ちますよ。ということになりますね。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

認知の課題と潜在意識の話が混ざってる?

前回のブログの文章にちょこちょこ手をいれましたが、読み返していて、あぁ今までいろいろ書いて、私の違和感みたいなものをアウトプットしてきたけれども、このような表現が本来はしたかった気がする。という文章が修正することで書けた。(気がする)

こちら ↓

”ひょっとしたら、取り扱うべきは深堀には無理がつきものだという固定概念の方かもしれない。という仮説も浮かんできたりする。こちらだと焦点は認知の再確認であって認知行動療法で対応できる領域だとも思う。”

 

私が考えて、書いて、グルグルと遠回りしながら、考えて、書いて、徐々に中心に近づいていくことも時間がかかった深堀の一種なんでしょうね。それを研究というのかな?

そうか、「深堀」を「研究」と表現したら負担感やシンドそうなイメージが払拭されやすいかも。「自分を研究する」というのは「自分を深掘る」より自分に興味が持てそうで、得が多そうな響きがある。

そして、この方法以外にこの手の中心(核?原因?)に近づいていく方法を私は知らない。まぁこれも認知行動(療法)みたいなことでしょうし、この一連の行為をトライ&エラーと呼んだり、レッスンと呼んだり、練習と感じたりしているんだろう。自分のために自己研究をしているのは確かだろうし。そうね、”自分のために”ってところは大切な気がするわ。

この過程で、「凶事は吉事」が組み込まれていたり、「吉兆はあざなえる縄のごとし」エッセンスが配置されているんだろうという理解をした。

他の方法をとったことが無いからそちらの道についてはわからない。比較できないし優劣もわからない。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

 

小見出しに書いたような、認知の課題と潜在意識の話が混ざってる? という感覚を言語化するまでが兎に角長いわけですわ(笑) 目から鼻へ抜ける賢い方からしたら半笑い対象でしょうが、こちら凡夫ですからこんなもんです。

 

いやぁ自己満足ですがスッキリ感がある。他人様のありがたいありがたい影響で自分の自己満足を感じられました。他のほぼほぼ書き上げた記事を飛び越して前回の記事を書いてよかった。そして本日補足する文章を書いてよかった。 良かった良かった。良いことばっかりだ(笑)

 

多分似たようなことを過去も書いたかもしれないが、私も変化していますので、「しっくり感」もやはり変化していると思えます。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

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