好みも変わるし
好きを突き詰めたら考え方が変わることもある
もう2025年12月になろうとしています。
早いねぇ
個人的には平和に過ごせていてありがたいばかりです。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像
今日はここ最近のブログの続きを書きます。
本は読むもの → 組み合わせ次第で本を聴くって没入できる
Amazonオーディブルで「海賊とよばれた男」を聴いている。
おそらく本だったらまず手に取らないジャンルと感じたし、こちらの著者ならまず手に取らない。食わず嫌いで。
しかし、以前も書きましたが、Amazonオーディブルでは好きな作品、好きな作家の作品に魅了されるとは限らない。全然違う。ですから重要なのはナレーターさんの力量、加えて自分とナレーターさんとの相性にかかってると感じる。
その点、このAmazonオーディブルで聴いている「海賊とよばれた男」はナレーターさんの井上和彦さんが素晴らしい。井上さんが素晴らしいから、初めて小説の素晴らしさが伝わる。
そして、私は映画や小説は好きだが、朗読系にはほとんど縁がなかったものだから、ここ数年親しくなった新しい世界を楽しんでいる。

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本を我慢して聴かない
朗読になんか違和感があるけれど我慢して聴く。ということは一切やめている。
あ!ダメだ!と思えば、即刻ダウンロードを削除して、別の相性の良い作品を探す旅にすぐ出ることにした。
我慢して読む。というより、我慢して聴く。ということの方が私には時間の無駄を強く感じるようだという自己理解が進んだ。

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なにを大切に生きるのか?
小説の中に、利害や損得、利権至上主義の登場人物もいるし、ヒトとして全うしたい信念を貫いて、ヒトを大切にする登場人物もいる。
私はここ最近、ふと目にした「サタニスト」という言葉から思考展開した文章を書いていますが、善だと思う悪もあり、悪だと思う善もあるという気はしている。
そもそも「サタニスト」という言葉を目にした際に紹介されていた書籍「
世の中は白も黒もなく、グレーの限りがないグラデーションが広がるばかりだという説もある。どういった思想を持つのか、信念を持つのかは個人による。
これらの判断は個々の体験やキャパシティにもよるだろうし、同じ人物が10年後?後年?命の灯が消える直前に?思想も信念も変わることだってある。
相談者さんの話ではなくて、私が過去世の中で見聞きしたケース
私の個人的な経験の中に、とある占いを基に人生を組み立てていた方が、もう全く信じなくなった方もいるし、映画の中などには信仰をやめた神父さんや牧師さんがいるし、引き寄せ広報リーダーが欲しい結果を引き寄せられず、「なぜ?引き寄せられるはずなのに?」と問い続けていた姿も見たことがある。
以前も書いたが、ウソのアガスティアの葉が多くあるが、自分は本物のアガスティアの葉に出会えた。理由は、家族名前を含め、絶対に相手が知らない過去が言い当てられていた。そして、今の仕事の将来が必ずうまくいくとアガスティアの葉に書いてあった。とおっしゃっていたその方のその仕事が予定通りにいかなかったこともあった。順風満帆に繁栄するはずのその仕事はそのあと超絶モメて終わった。
霊能方面でいえば、除霊といって他者の精神的健康を壊すというか、ある意味の洗脳をして他者を支配するケースもあった。除霊について自己流だとしても、修行しているという自己申告でもこういったトラブルってあるんですよね。サタニストに限らず世の中にトラブルってありますものね。
また、どんな占いでもうまくいくという結果が出ているという別の方の案件は1年持たなかった。
私の場合は、驚くほどうまくいくと聞かずとも告げられたことが、特に何もなかったことも何度もあった。肩透かし感があったけれども、穏やかな日々を過ごしたと言えばそう。逆に上手くいかないと占われたことがすっかり上手くいったこともあった。
考えることをやめて、(例:ペンジュラムを1つの例にあげてみるが)キネシオロジー理論を活用した占術のようなもの(潜在意識の答えとも説明する方もいるし、サムシンググレートの答え、神の答えという捉え方をする方もいる。真偽はわからないが、すべて、すべて、すべての「答え」をどこかからか得ようとする利用方法は健康法というより占術的な意味合いが濃いように感じるので私の健康への利用方法とは異なっていることだけは確かですが)を知って以降、なんでもon、offというような反応を確認しないと気が済まないとうケースも知っている。依存、中毒症状だろう。
こうなると、「信仰」か「深い依存」「忘我」の領域が近いような気がするが、自由です。
で、私が自由を選ばせていただけるのなら、
何度も何度もしつこく書いて申し訳ないのですが、こういった理論は健康法として活用していけたらいいなぁという嗜好があるんですよね。
正解を知りたいとか、答えが欲しい、間違えたくない、失敗が怖い、ということとは少々ニュアンスが違うつもりでいる。あくまでも個人的な「つもり」ですが。
できれば、占術的な要素は薄くあってほしい。そのように利用したい。というのが私の選択の自由のつもりです。
前世の話も、私も人並みに興味をもったことだってありますが、その時期に、(なるほど、前世が気になるってこういう感じか)みたく感覚があって、(健康的な感じとは距離をかんじるなぁ)とも感じた。
わたくし凡夫なので、頭で考えてわかったつもりになるよりも、自分も体験して体験から学ぶ方がその後世間を理解する際のMy統計として身に付きやすいのです。
すべて、すべて、すべての「答え」をどこかからか得ようとする手法は、自分の体験を学習に変えにくいのかもしれない。私の場合は。考えないわけだから学習として身につかないのは当たり前と言えば当たり前ですが。

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忘我 一例
他者が話題にしたり、他者が目の前でやったりしているような外からの刺激をすべて「ひらめいた」「私は直感人間」と脳内変換するケースにも出会ったことがあるが、自分の感覚が外からなのか、内からなのかのその感覚がとらえ切れないということだろうか?と思うこともあった。自分の境界線やある程度のアウトラインが感じられない場合は、自己認知は難しいだろうと思う。その瞬間瞬間、環境に左右される思考と発言。
がしかし、多少の差はあれど、誰しもそんなもんだとも言える。誰もが、その瞬間瞬間を生きることしかできないわけだから。
ただ、そういった性質だと周りが気が付くのか気が付かないのかでその先のつきあいに影響がでる。回りが、(この人には自分の発言、思考、作品、長所、アイデアをなんでもパクられる。)と感じれば、気が付けば離れていくヒトも多い。ただただ自分が相手に利用されるだけかのように感じるというのも理由にあるだろう。まぁ確かに傍からはそう見える。
が、気が付かなければもめずに付き合っていける。平和だ。
そう考えると、知らない、気が付かない、考えないというのは平和でいたいという願望由来なのかもしれない。なんだか切なさも感じ取ってしまいそうだ。
ヒトの精神のなせる業ですな。

falcoによるPixabayからの画像
