間違えて当たり前。迷って当たり前。

バランス調整・ストレスケア
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やるしかない

間違えることを避けるあまりにハマる

こちらの記事の補足を書きます。

運とは? | 心体カウンセリング™ ・セラピー・ケア

具体的には「生き残り」ってどういう意味?ということを補足したい。

 

楽な方に流れたり、逃げたり、自分を明け渡したり、思考を手放したりするのは簡易だし、万能感、全知全能感、選民意識、覇者感、悟った感、解脱感、研究しているつもりが木乃伊取りが木乃伊になったり、ブラックホールみたいに吸い込まれる

こんなことは誰にでもあることで、これらが全く無い人間っているのだろうか?ほぼ居ないよね?と思っているので重要なのはこれらを経験しないことじゃないと思っています。

 

私の書いた「生き残りゲーム」の生き残りの意味は、いろんな思想、教え、体験、勘違い、気づき、思い込み、あらゆる欲望・執着が自分自身を試すような働きをしたり、足を掬うようなことを避けることを「正しい生き方」「生き残り」と想定するのではなくて、やりたいことにチャレンジして、上手くいかなくても、黒歴史があってもそこから学習して、回復し、復活を何度でも繰り返し、他人を操作する前に、他者にまるっきり依存する前に自分もできることをやり続けられる結果が生き残りだろうと思っている。

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人生の暗黒期もある

  • 私、俺ってなんなんだ?
  • 私、俺の存在意味なんてないじゃんか。
  • 私、俺の人生って何だったんだ?

というような絶望感を感じるツライ時期が訪れることもあるのですが、それは生き残りの脱落でもなんでもなくて、そこから手間暇がかかっても回復、復活することを生き残りとしている。

全回復じゃなくても、30%でも50%でも回復は回復。その分(前より楽だ)とは感じたりするもんだし。前より少しは楽になってると思うだけでも気分が明るくなったりする。0ゼロ、100ヒャク思想だと全回復以外は認めないというような感覚かもしれないが、現実を認知するチカラが付くと、(前より楽)ということの有難さを感じたりする。

 

自分が悲しいほど運が悪いと思うことがあっても、あの選択は間違いだったと心底後悔しても、そこから回復、復活することが生き残り。回復と復活を焦っても遠回りになりがちなので、これはもう10年、20年かけて回復、復活したら俺は(私は)天才だと自分を誇りに思うような類のことだと思っている。

そう思う理由は、これらの実感があるからです。

自分が悲しいほど運が悪いと思うことがあっても、そこから回復、復活することが生き残りとして、とてもショッキングなことがあったら「人生本気出す時がきた。いつかの将来に復活して目にモノ見せてやるぜ」と無理にでもメタ認知して黙々と生きる。自分を煙幕で目くらましするのをやめて「向き合う」という作業は必要だとは思うけど。

セルフ煙幕

自分をセルフ煙幕で目くらましすることとスピ界はこれまた親和性が高い。そういったことも気が付いていけると回復、復活しやすいように思っている。

こんな風に書くのは簡単だけど、その道中は暗黒だと感じるであろうこともお察しできると思う。

もがくだけもがいて、やるだけやったら、生命が終わる瞬間に「やり切った」と思えるんじゃないか? 悔いが無いと思うかもしれない。

でも、逃げてばかりでも、避けてばかりでもご本人が「逃げ切った」ことに価値を持てばそれは「やり切った」と認定されるのかもしれないし。

自分でものを考えるよりも「教えを守ること」が最優先の生き方もあるようだ。それならそれが「やりきった」ことになるだろう。

確かに、何がどうであろうと、何をしても、何をしなくても「生き切る」「生き抜く」以外に道はないとも思っている。ここはコントロールできないが、道中のルートは自分で選択できる場合もあると考えています。

こういったことも今まで何度も何度も繰り返し繰り返し書いてきましたが、今後も多分書く。

 

間違えることを避けたい余りにすべての選択を「潜在意識」に頼りたくなったり、占ったり、人生の師に決めてもらったりといろいろあるんだけど、それに頼ってご本人が期待している結果に至らないケースも正直よく見る。正直良く見るけども、また次同じことをして過ごしている日常にご本人が疑問をもっていないのなら本気の生きづらさは感じておられないのかもしれないし、なんなら楽しそうだ。それなら何よりです。

スピ界も次から次へとジプシーもできるし、そういうことが楽しいという人生もあるから、ご本人が求めている生き方があるんですよね。

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現実嫌い

スピ界を楽しむのは個々の好みです。

「現実嫌い」によるスピ界傾倒はその場しのぎであまり良い結果を生まないかも?と思ったときには一度それらをお休みして、別の回復方法を試しても良いかと思いますし、

私が書いているのは、生きづらさやシンドさをなんとかしたい!と思っている場合の話なので、自分は関係ないと思う方もそもそも私のblogを読んでいるとも思えない。

捕らぬ狸の皮算用

こちらに損得体験を書いた。

迷ってる自分を観察してみた | 心体カウンセリング™ ・セラピー・ケア

得をしたくて選択したものが返って損失になる時もある。得をしたいという動機で始めたことが上手くいかないと傷ついたり怒ったりすることもありますでしょ?

まだ捕っていない獲物、空想上の獲物、捕らぬ狸の皮を手にしなかっただけなのにね。でもそれにとても執着するし、捕らえられなかったその同じ手法を何度も繰り返したりしますよね。かといって他の選択肢を選んでも上手くいかない時もある。

本当に人生って不思議。知覚できないいろんな要素が関わっているのに上手くいく方法が1つだと思ってその答えを探し当てたいとスピ界に走る方もいる。

不思議です。答えってあるんですかね?

Susanne NicolinによるPixabayからの画像

倫理観?

明確な生き残りルートを教えてくれる人もいない、テクニックもあるのかないのか運次第?とか思うと、

信念とか倫理観とか精神力とか? これらに類するものが回復、復活の根っこにあるような気もする。思考力とも言えるのかもしれない。

そうだねぇ、私の経験で言えば、アルコール依存や性依存や、他者、他物などへのそういった依存の強い方は当たり前かもしれないけど回復、復活に必要な踏ん張りが効きにくいようなMy統計がある。前々回アップした運についてのblogにあるような

ナニカに付け入る隙を与えてしまう。

というケースもどうも思考力か精神力か信念か何かに影響して回復、復活に必要な踏ん張りが効きにくくなるという変化が起きるという様なMy統計があったりする。じゃあどうするのか?と言えば、回避策を選択するという習慣が身についたりして「自分の深層と向き合う」ということのハードルが益々高くなっている自分をまずは認知することから始めることが必須なんだろうかと考えたりする。

やっぱり自分のナニカを明け渡してしまったりしちゃうんだろうか?私は臆病なのでそんなことになるのが怖くて「自分の大切なモノ?ナニカ?どこか?を死守」というようなイメージがあったんだけど、これはスピ好きな方の「大切なナニカ」とはちょっと種類が違うんだろうか?と思う回数が割と多いほど気軽に、なんなら自ら染まっていってしまわれていないだろうか。しまうというより、それを好んで率先して行っているように感じたりする。

価値観って色々あるな~って思うのはこんな時もそうだ。

善いものなら明け渡しても良くて、悪いものなら悪いものとわかっている自分は大丈夫。というような感覚だろうか?

私は「明け渡す」ことは同じだと思うんだけど、ここが価値観や人生観の違いなんだと思う。自分とそれらの共存ではなくて「融合」「明け渡し」を「善き統合」とだけ定義しているのだろうか?

それらを全て「善き統合」と信じてよいのかどうか、正解か不正解かなどの答えは私にはわかりませんが、信じたいように信じて、見たいように見るのはお互い様ですね。

 

「融合」「明け渡し」を「善き統合」とするのはワンネスというような思想かと思うけど、「自分もあって、全体もある。」「自分も一部だし、全体としての自分もいる」とか、両立する、両方同時に在る みたいな多面性、多元性も健康的なような気がするんだけど。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

いつも通り、また余談

「プロジェクトヘイルメアリー」

遅ればせながら映画「プロジェクトヘイルメアリー」を観た。先にオーディブルで非常に楽しんでいたので映画も見てみたかった。脳内に強く残る作品だった。映画よりも小説のラストの方がグッときた。

ただ、小説を先に読んで、自分の脳内で出来上がった作品より優れた映像(映画)に出会う事って滅多にない。映像作品の時間も短いし。「プロジェクトヘイルメアリー」の場合は異星人のロッキーが私の脳内ロッキーと違い過ぎたが、ロッキーの宇宙船の内部映像はとても気に入った。

スティーブン・キング

当たり前にどの作品もそうだけど、私の脳内のスティーブン・キングの小説を超える映画を観たことはない。ただ、ドラマの「Mr.メルセデス」はドラマとして時間がたっぷりとれるせいか役者さんたちも小説の世界に良く合っていた気がして好きだし、映画「IT」は日本人にはわからないclown(ピエロ)感が映像があったおかげで少し理解できた。当たり前だけど、小説の方が人間の機微が書き込まれているので深い。

しかし、映画を先に観たら、その後小説を読んで一層楽しめることは多々ある。

小説「国宝」は聴くことを超絶薦めたい

ただ、小説「国宝」は自分で読むより、Amazonオーディブルがおそらく一番楽しめる。自分で読むより、尾上菊之助氏が読んで表現してくださるものが最上かと感じて感動した。とんでもなく素晴らしい才能だと思う。鍛錬もあるはずだが、それにしても才能が無いことにはここまでには成れないと感じたんですよね。

自分で読むより聴く方が数倍良いだろうと感じたのは人生で初めてだった。

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