根が張っている感
どこが違うのだろう?
美しい映像や美しい文章、教科書通りの解説があり、それらは一定の評価は得られる。だからと言って受け取り側が理解しているとは限らない。
わかったような気になるという現象も起きる。
それが腑に落ちていなくて、自分の表層での一般的な好感触だったというだけでも「自分は理解したんだ」と判断する場合がほとんどだろうと思う。
また、精神が作り出す幻影(というか、本人にとっては事実なんだけど)として「私はすべてをわかっている」という腑に落ちるのとはまた異なる「脳感覚」ってあると思っている。これをものすごく大きな例え話で説明しようとすると、見たいものを見て、聞きたいものを見ていて、信じたいもの以外が見えない、信じたいものが真実だとしか思えない、信じたいもの以外は幻・嘘であるということで、別名「この世は幻」だが「私の見聞きするものは真実」に含まれる。
「認知」と「認知の歪み」の線引きそのものがアヤフヤになりますでしょ?
だからという意味も込めて、カウンセリングに思想やスピをカウンセラーのさじ加減で味付けすることは相談者さん側にとって結局とても遠回りになるし(その遠回りで学ぶこともあるだろうが)、問題を複雑化することも多いと思うようになった。
いや、カウンセラーと相談者さん側の相性が良くて、そのやり方・価値観で回復するんならそれが良いので、あくまでも私個人の体感の話です。
これらを取り除いで気がつけたこと
思想やスピって原因探しや因果関係の答えが概念的でフワッとしてることが多い。
ナニカを利用してどこかの誰かのメッセージを聞く前や、過去世がどうのと注目せずとも、自分の胸に訊ねたり、感情に注目したり、自分を知るチカラをつける方が私個人的には自己解析のようなものが進んだし。
その中に
- 私の精神的、脳的な発達はゆっくりだ
- ゆっくりだから自己価値観の地固めも遅い
- 体験して、それについて考えて学ぶ方法が合っている
があった。
そして、こんな風にゆっくり発達している途中に学習した1つにある「何かと理想化してすぐに他者についてわかったつもりになる」こともやめる方が良いとした。言っていることが素晴らしいとか、本が売れているとか、地位があるとか、学歴とか、いろいろ。 だって皆人間だもの。
理想化しなければ、ダマされたと逆切れすることもない。周りが自分の想い通りに動かないと逆切れしたり怒りや悲しみを作ったのは、相手を何かしらの自分の都合で理想化した自分自身だけど、それを認めるという自己認知はハードルが高い時がある。
私も痛い目も怒りも悲しみもあったけれど、ただそれらを体験するばかりでは損で、これらを学習して次へ活かした方が得なんだという設定にしたのが良かった。被害者意識一本やりで人生を終える選択肢もあるが、それでは自分の機嫌を結局は他人にとってもらうことになり不安定だ。
自分の機嫌を他人にとってもらうとはTaker・奪うヒトに安易になりやすく、周りが疲弊し、幸せ感が漂わなくなり、結局自分が損をする。Taker・奪うヒトはとどのつまり自分が奪われていく(失っていく)のかもしれない。また、GiverのつもりのTakerだっているだろうから、本当に人間の価値観や感じ方は様々だなぁって本当に本当に感慨深い。
そう言えば
また、私も一通りやっているので、ナニカを利用してどこかの誰かのメッセージを聞いたり、過去世がどうのと注目もしたが、これらがなかったら「自分の生きづらさ解消にそれらは必要ないんだ」と気が付くことができなかった。なんならいつまでも同じことをしていたら多分今も変わらず根が張っていない心もとなさを感じていただろう。あれらは妙な依存心や固定概念の執着だと気づいたあれらから脱出したのは非常に良かった。まぁそういう面を考えると、メッセージカード作成者が「悪魔の声」だか「悪魔の手先」だかと表現するのもわからんでもない。興味深いのは、(そうなの?じゃあ一度手放してみようか)と思う率が低そうだということです。これはいいものだとかえって執着を強めるという感じすらする。
神ってそういうアイテムや行為に執着しますかね?という逆説?を立ててみると、なるほど見ようと思えば悪魔的というような根拠が浮き立ってくるような気もしますが、正解は知りません。私は仮説たてて考えて、自分なりに価値観に組み込んでいくが好きなだけで、正解は知らんのです。
いきなり超投げやりなことを書くと、ヒトは好きなように選択して生きていくし、この世が幻なら神も悪魔も無いのかもしれないし。 となると、「空」とか「無」と、天使や陰陽論や輪廻転生や諸々って同じように同列で存在しないはずなんだね。 面白い、とことん考えたらホント トリックやマジックで当たり前のことが見えなくなっている感がするわ。(笑)

今回根が張っている感があると感じた解説・サポート動画に出会ったのでシェアします
大人になるとは?
私もホームページのコラムに散々書いたりしていますが、人気の脳科学者氏や動画を頻繁にだされている有名どころの精神科医氏よりもこちらの動画が私にはしっくりきた。
73.1万人登録の有名な方でしたが、私は初見の動画でした。このあと、これ以外の動画もシェアしますが、できれば倍速でなく普通スピードで見て内容を咀嚼されることをおススメしたい。
スピや思想に行かなくても到達できたみたい
こちらの動画内で、到達点は「仕方ない」「生まれてきて良かった」だと解説されていた。ということは私はとある状態には達したらしい。なるほど。
「生まれてきて良かった」というのは質の高い幸福だそうだ。お金などの条件に左右されないからだそう。いや~良かったね。おめでとう自分。ということは、私の自己回復への取り組み・やり方は成果を生んだということですね。少なくとも私自身には。しかし、私のやり方や考え方をアホほどアウトプットしているので、フィーリングが合う方には何かの参考になるかもしれないですね。どなたかのお役に立っていたら瓢箪から駒的にありがたいことですね。
また、私自身が【非常に】×10程度弱った時期に独特の脳感覚があって、それがあったからこそ(私は今相当弱ってる)と認知できたんですよね。
「私はすべてをわかっている」という腑に落ちるのとはまた異なる「脳感覚」ってあると思っている。
↑ こんな脳感覚と「生まれてきた良かった」は全然別の次元の話で、なんならこういった脳感覚の時の現実は幸せとは遠かったし、(私は今相当弱ってる)と感じる状態とそれを生んだ環境だったわけだから。
前項で書いた、
遠回りの道
や、
私も痛い目も怒りも悲しみもあったけれど、ただそれらを体験するばかりでは損で、これらを学習して次へ活かした方が得なんだという設定にしたのが良かった。
というのは「必要な衝突」だと解説されている部分に含まれるような気がするし、動画内のステップを自己研究しつつ踏んできたんだな~って思ったし。まぁそのために本もたくさん読んで試行錯誤して、練習・レッスンしてトライ&エラーして、また練習してという認知行動療法は良かった。
派手さもないし、地味で泥臭いやり方だったけど、思想よりスピより良かった。
ただ、「生まれてきて良かった」と感じると状態をSATORIと命名してらっしゃるようです。また悩める方のサポートをBOSATSUと名付けていると動画の中でおっしゃていた。
私がいつも書く疑問とどこが違うのかを挙げてみると、状態と命名の定義がハッキリしているとは思った。世の中の「悟り」って観念的・精神論でぼんやりしているし、『ところで自称「悟り」さん以外に誰が悟っとんねん?』と言いたくなるけど、この解説ではそれらぼんやりした思想的な概念の悟りとは区別して、「生まれてきて良かった」と思ったらそれは「SATORI」という言葉で表現するというルールにしましょう。という明確さ、シンプルさがあるように思いました。
よくある「悟り」ってステイタス扱いされていますが(ステイタスだと思っているから自称「悟り」さんが自己主張するんだろう)、この場合はあくまで「特定の状態に名称を付けました」というようなシンプルさを受けました。
じゃあ私の書くことが悩める方のどなたかのお役にたったら「BOSATSU(行為)」となるようです。寄付をしたらGiverと言われるのと同じ感じですね。
思想と言語 心は脳
他の動画を拝聴していないのでナンですが、「魂」とかはおっしゃらずに、そういう思想は取り入れない科学者という立ち位置かと今のところは理解しています。
AI作成画像が活きてくるぞ
今回シェアした動画を全て見ていただけたら以前私がAIに発注して作ってもらった私の想像を超えてきたクオリティのこの画像が活きてきますね。

いやぁ 良かった良かった。