優柔不断とは?がわかりやすいお言葉

バランス調整・ストレスケア
  • 真剣に考えてない。深く考えない。
  • 表面しか見ない。
  • 軽い。
と端的に表現されていました。
なるほど。
私は
  • 損得を気にし過ぎる。
  • 将来の得られる利益の多さを気にし過ぎる。

という切り口を持っていましたが、上記はもっと大きなチャンクで表現しているような気がします。

優柔不断と決断に時間がかかるのは別。

優柔不断と決断に時間がかかるのは別。 だそうです。
以上のお話を井川意高氏がご自身のYouTubeチャンネルでおっしゃっていた。
私は割と優柔不断とは遠いようなつもりでいます。
迷わないわけじゃないし、決断に時間がかからないわけじゃない。
しかし、そこも織り込み済みにしていることが多いです。

織り込み済みってどういう意味か?

最初から「当面決めない」と決めている。

だから優柔不断とはちょっとだけニュアンスが違う。なぜなら、「当面決めない」と決めているから。

しっくりきて、納得できそうとか、ここで決めても良さそうだ。という瞬間が来るんですよ。数年引っ張るときもある。

ということは、数年引っ張っても支障が無い案件だったということでもある。と考えています。

振り子が触れて、どうしようかな~~~?とアレコレ選択肢が頭に浮かぶ時間があって、時間とともに振り子の揺れが収まってきて、自然に選択肢が絞られていく。

そんな意味。

 

決定の期日が決まって居たら、こんな方法は取れないからその時ちゃんと考えてその時考えられるBestか、betterを選択するしかない。

 

ただ、美味しそうなメニューを見て、「なににしよう♪」と優柔不断を楽しむこともありますよ。決められな~いとか言っても、注文までの時間が限られている中で優柔不断を楽しむ。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

あなたはどの程度優柔不断ですか?

ここでふと、占いやメッセージ類を欲する、ある種のスピリチュアルについて「サタニスト」という表現をご紹介したこちらを思い出した。
私が記憶している数々の名言のなかで、身内に「何故なんでも占いに頼るのか?なぜ(自分で)考えないのか?」と訊ねたときの返答も名言、真理をついていると納得したことがあった。
その時の答えは「自分で考えられないから占いをする」だった。
秀逸。
名言。
これを言われたら、それ以上何も言えなかった。
「自分で考えるとはどのようなことか?」というそもそも論というか、それがどういうことなのかわからない。という意味にも受け取れた。
この会話を交わした身内の行動もまさにサタニストという表現に含まれていたんだと思うとともに、「考えられない」「その手法を知らない」「わからない」ということが、結果サタニスト的手法、行動に吸引されていくという可能性。
または、自分で考えた結果に保証が欲しい。
霊能やスピリチュアル、占いの方を自分より信じているのか、自分を信じられない状態を補完したいのかはわからないけど。

身体の反応、キネシオロジーの仕組みを利用して決める

私個人的にはonとoffの反応について、基本的にストレス反応と定義しているので

A案とB案(C案があっても構わないが)、うまくいくのはどれですか?というような反応を「身体に聴く」という行為を行った際に

「うまくいく」という問いや定義は曖昧ですが、onやoffという結果は得られる。

ここで登場するのが「質問の仕方、問いの方法、言葉の使い方」というようなテクニック論。

これらにより一層何かを加えて複雑にして、「身体に聴く」という行為をすこぶる複雑化していくことがある。これは流派というか、教える側の価値観によるので、その価値観に賛同する方はその価値観で進んでいかれるのだろう。

 

ただ、うまくいくとか、いかないとか、損得論(あえて乱暴に表現しますが)ではなくて、やってみたい、やりたくない。という自分の中の情熱に焦点をあてて、「自分のこと(興味、情熱)を自分の身体に聴く・反応を確認する」ということがシンプルではないかと思っています。

 

社会的に上手く行くとか、金銭的に上手くいくとか、自分以外の要素があり過ぎる案件や、社会的なメンツ、評価に軸を置いた質問についてあなたの身体に聴いた時のonとoffについて一体全体これは何の反応を調べているんだ?ということをじっくり考えてみても良いと思っているし、私個人は考えている。

もちろん個々に意味合いが変わってきたり、要素の割合が変わったりするだろう。
なにに基づいて、何の答えを得て、何を選択の「答え」として決めているのか?

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

なにに基づいて、何の答えを得て、何を選択の「答え」として決めているのか?

そういう意味で、すべてのことを何でもon、offを確認せずにはいられないとなると、依存とか自分で考えることを放棄するということに近づいていきませんか?
良い悪いは別です。人生観と価値観によるので。
ただ、私が書いたようなサタニスト的意味合いと限りなく近づいてくるなぁと思うと、これまたシュールだと思う。
理由の1つは、キネシオロジーは「健康法」だと私の場合は認識しているけれども、利用者によっては、または教える側によっては潜在意識というものの捉え方が様々だろうし、「健康法」に何がどこまで含まれるのか異なることがある。
ただ、健康法とサタニスト(悪魔崇拝)のマッチングをシュールと感じる。
自分で考えない、答えはすべて潜在意識(onとoffを潜在意識の答えだと限定していることになるが)に聴く。というスタンスの方も多いだろう。
自分の本心というものをキャッチする練習は放棄することになるかもしれないが。

話が流れ流れて

優柔不断とは?から始まって、こんな話になりましたが、個人的にいろんな思想を取り入れ、一時採用し、その際にいろいろ感じ、考え、振り子が収まってきている状態なのかもしれません。
今のところはシンプルに、
  • 健康法
  • ストレス反応
  • バランス調整
  • 自己認知、考えるという取り組み、行為 ←冒頭は、これがわからない。できない。という話でしたね。
なんて感じです。

考えるって「自己認知」「自分を知る」ということだろう

ここまで書いてきて

考えるって「自己認知」「自分を知る」ということだろう

というナイスな関連付けが浮かんだ。

 

”霊能やスピリチュアル、占いの方を自分より信じているのか、自分を信じられない状態を補完したいのかはわからないけど。”と前述したが、逆を言えばこれらを利用して自分を知りたいのであれば、もし、もし、もし、あなたが考えるって「自己認知」「自分を知る」ということ方針に転換してみたいのであれば、先にこれらを手放すことが肝要とは思う。

全てを潜在意識に聴く、すべてをon、offで決める(知りたい)ということも含めて。

 

全てを潜在意識に聴く、すべてをon、offで決める(知りたい)というのと、自己認知、思考力というのはおそらく別物だろうから。

Thomas WolterによるPixabayからの画像

あなたの価値観はあなたのもの

なんだか沢山書いてしまった。

 

反論、違うご意見もあるはずです。

ただ、私は私の今日現在の思考を書いていますが、あなたの価値観はあなたのもの。

人生観も価値観も常識も違う者同士が一瞬遭遇しているだけなのでこれまでと同じくご自由に生きてください。

 

最後の最後になんですが、私も占いの本を読んだこともあるし、ある程度記憶していますが、徐々にそれから離れました。自分のonとoffを確認することはありますが、なんでもかんでもじゃなくて、決める時にはonやoffを確認する必要なほとんどない。

ストレスケアはする。とても良いと信じている。

 

onやoffを確認してもしなくても、結果は1つ。なるようになる。

覚悟1つかもしれない。

 

目標設定に身体の反応のバランス調整などは利用したらいい。するからどう、しないからどう。ということは将来のその時の現実は1つなので比較はできないが、私もいろいろやったうえで、将来はいかようにも展開していくという実感がある。

目標設定をして、それに向かおうとするときにストレスケアとしてoffをonにバランス調整するのはお勧めしたい。

潜在意識にどうのこうのということは脇へ置いたとしても、単純にストレスケアとして行うことはお勧めしたい。

onやoffの反応以上にいかようにも未来の展開は無限大だとも思うようになりました。

xxolaxxによるPixabayからの画像

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