予言はカルチャーの一種

バランス調整・ストレスケア

最終回の予定

あぁ2025/07/05についてラストって意味です

2025年7月5日の大災害の予言については無事に済んだし、私は誰がどう拡散したのか全員を知っているわけじゃない。角さんというリンクを貼った方もそうだったんですね。そういえばそうだったっけ?という記憶しかありませんし、ノストラダムスの大予言だって外れてもご本人は知らん顔だし。ということで書きたいことは書いたから終わったこと Done案件でしたが、こちらの動画が目に入って再生してしまった。そして動画の冒頭辺りの角氏の発言「予言はカルチャーの一種」という言葉を2度聞きした。今なんとおっしゃいましたか?という意味の2度聞き。

私凡夫なんで「不倫は文化」という本当はご本人がおっしゃっていないけれどもマスコミが創った言葉を思い出した。しかし「予言はカルチャーの一種」という言葉は確かにご本人がおっしゃっていた。

Andrzej RembowskiによるPixabayからの画像

なるほど

「予言はカルチャーの一種」と聴いて、(なるほど)と思った。

私は、個人を糾弾したいわけじゃなくて、現象として経過を見ていた際に両方の反応、影響の成り立ちについて書きたかった。発信側の表情、目の輝き、それが伝播してきた側の表情、眼の輝き、その内容。それもパトロールしたわけじゃなくて、私がたまたま目にした数個の動画で感じたことでしかない。が、この時は「共鳴の法則」と書きたくなるような反応と感じましたし、それらをざっくりと「カルチャー」と表現されたのを見て(なるほど)と思った。とういことは、私はカルチャーについて感じたことを書いたんだな。エンタメについて感じたことを書いたんだな。と気が付いた。

潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口 – 武田美紀のブログ

 

ご本人談ですが、自分で喋っているうちにその気になってきた。とのことでしたが、自己洗脳というか、思考が言語になるわけで、信念が築かれていくこともあるから正直な感覚だろうと思って動画の冒頭部分を拝見した。配信内容がカルチャー、エンタメなら謝る必要などない!と言い切る方もいらっしゃるだろうし、謝ることなのかどうかもわからない(ノストラダムス含め予言者は謝っていないが、広める側、広められる側の話だろう)ですし、そもそも知らん顔している方もいるけれども、「外れましたね」と振り返って触れたりされたこと(他にもあの当時早々に振り返りをされた方はいた)には私個人は好感を持つし、ちょっと違う視点をもったり、一旦止まってみる。みたいな効果があるような気がした。結果そういうことも影響しあう気もする。

メインの後半の予言についてはわたくしは知りません。信頼度も正確性も知りません。個々の判断・好みでお願いします。

私は冒頭の語りの部分について書いているだけです。

 

他にも都市伝説(今回の件も含めて)などについて「エンタメ」と表現されている方もいますね。

 

一旦止まる?

いろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験があっても、自分をなにかに乗っ取られたり、いろんな影響にあまりに侵食されるのなら、そのいろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験は禅病の領域ではないだろうか?と考えたりする。

まぁ 魔境的な意味ということになります。

正解は知らないけれど、健康的には感じにくいし、こういったものに正解と不正解があるのかどうかもなんとも書きづらい。とどのつまり精神性、精神論みたいなことになって、(なんじゃその説明、結果は)となってしまう。となるし、魂とか書いちゃうとますますこじれそうだから私には回答を出せない。魂自体に個々の解釈があるからそれも加わって収拾が付かなくなりそうだ。

 

ただ、個人的にこの手の体験になにか正解があるのなら「点」であり、唯一の一点ではないかと思っている。

その周辺の無限に広がる「それらしいこと」とその一点は薄皮of薄皮の差であり、唯一の一点以外はすべて禅病、魔境なんじゃないかと勝手に想像している。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 

そして、それは薬や修行で自分発でコントロールしたり、得たりするものではなくて、ポトンと落ちてくる僥倖だろうと推測している。目的が悟りではなくて、真摯に生きていたら結果的にありがたいことに究極の到達点で悟った、体験したというようなイメージです。千載一遇より確率の低いイメージです。

神経構造的でも脳構造的でもいろんなそれらしい神秘体験、この世の中の仕組みや真理に触れたような神秘体験があるのは存じ上げていますが、それらはそれらのカテゴリーの中の体験。薬などの影響があるのならそれはそれらのカテゴリーの体験。

体験がウソと言うわけじゃなくて、発信源、カテゴリーが先ほど書いた「一点」とは異なるように感じていて、周辺の無限に広がっているそれらしいところ発ではないかと勝手に推測している。

 

そして、「一点」以外がダメってことじゃない。それは「そのように在る」という状態だろうと思っていますが、ただそういうことで「選民感」みたいなものを持つと、おそらくその「一点」の僥倖と遭遇する確率は低くなりそうな気がする。が、「そのように在る」状態の濃度は増していく。

それが、目や表情や行動や態度や発言に漏れ出てくる。

 

だから神秘体験とは諸刃の刃であって、なにかしらのリトマス試験紙みたいなものなの?と思うときがある。一旦立ち止まることの大切さってあるな~なんて思ったりする。

皮肉なのか摂理なのか、はたまた私個人の勘違いなのか。と、わかったようなことを書いていますが、私は当然?残念?ながら正解を知りません。

良い表現が見つかった

先述した

”個人的にこの手のなにか正解があるのなら「点」であり、唯一の一点ではないかと思っている。

その周辺の無限に広がる「それらしいこと」とその一点は薄皮of薄皮の差であり、唯一の一点以外はすべて禅病、魔境なんじゃないかと勝手に想像している。”

 

の、この1点を他にどう表現しようか?と思ったら浮かんだ。合っているかどうかすらわからないくせに思いついた自分を天才かと自己陶酔しそうになったわ(笑) それを

立体、球体の全方位のなかの、全方位中の「陰陽の完全に拮抗した唯一の一点」と書くとイメージしやすいだろうか?

 

だから、そこには「導く」とか「雷に打たれたようだ」とか「全能感」「感動」「ビジネスにする」「この感覚を発信したい」というエネルギーなど無いと思う。そのような影響は発生しないような気がするという意味です。

完全に拮抗していたらゼロ地場的な「ゼロ」じゃないのかな?なんて思うから。

「すべてが無な状態が『在る』」だけじゃないのかな?

 

今ちょっと頭が良くなった気がしている凡夫が元旦からせっせと書いておりますが、楽しいです。私のこういった理屈や理論がどこかで(反論としてでも)使われても、それを私が気に入らなくても、いつかの過去の私のように「パクられた」とか思わないだろうということも今はわかっている。

それは、私が今書いたものが誰かのナニカの参考になっても、私自身の思考、推敲は割とずっと進化してきていて、将来の私は今より生きた分もっとMy統計が増え、自社データ調べが増えると思うんですよ。その少し先の私から見ると、よしんば2026年元旦の今何かをパクられたと感じるようなことがあっても「私の古いものをパクっている」ということにしかならないと腹の底で理解できたときに「ケセラセラ」となった。今日より先の今より思考が進んでいる私にはなんの不利益もない。ということですね。

多分、過去の私がなにかをパクられたと感じた際に、

  • 感情的に面白くなかった。
  • 自分が利用されたような気がして軽んじられたと脳内変換した。
  • 私の案を利用して相手が得したことが面白くない
  • 存在価値を無視されたことが悲しかったなど

が反応点でしたが、実際に「損」がどのくらいあったか?は計りようがないよな~とは思いましたね。損得よりも「面白くない」が勝ってたりしてね(笑)

 

パクる、パクられるって人間関係のいざこざがありますよね。多分、YouTubeの世界の中でもあるんだろうと思うんですよ。どうぞどうぞ、私はTakerですから。と心底思っている方もいるかもしれないし、なにをどう発信しようと、どんな反応があろうと気にしません。という方もいるかもしれないし、切り抜きご自由にという方もいるし、動画使用を一切禁止にする場合もある。業界の常識とかもあるんだろうな~と遠くの世界を眺めている。

マスコミの影響も、SNSの影響も文化やエンタメ、報道という意味では「いろいろある」んだと再認識しました。2025/07/05騒動みたいなことってSNSが無い昔からあるし。じゃあマスコミが謝ったか?申し訳ないと思ったか?というのも疑問だし。

そういう意味では、マスコミもSNSも一緒のやり方したら結果一緒なんだな~って今ようやく過去最高腑に落ちた。私はマスコミよりSNSに触れることがほとんどだけど、発信者の価値観と人間性みたいなものがいかに大切かと本日元旦一層思った。大なり小なりその方の影響を受けるわけなんでね。そしていま改めて、シェアした角氏の動画を拝見して、数分の語りで私が感じることのできる範囲では優しさを感じました。知らん顔することも、逆ギレすることも、揚げ足取り返しみたいなこともどんな方法もある中で、わざわざとっくの昔に終わった件について触れてちゃんと終わらせた感じがして私は好感をもちました。主義主張は違っても、会うことは一生無くても、私の存在など知る日が来なくても、これも共生だなぁなどと思いましたわ。

最後に

わたしは影響力の無い一個人で、世界の片隅で独り言を書いていて、減らず口も書いている者ですが、たまに、アレ?ご本人が私のブログを読んだのかな? そんなことある? 真相は不明。 みたいなことがあるんですよ。

何年か前、ニクヨさんにそれを感じた一瞬があった。使う言葉とかまぁそんなところで。真相は不明なのですが、ミルクティー飲みたいさんもなんかシンクロしたな。とか、もしご本人がエゴサーチしても相当深いところまでいかないと私のブログなど出てこないような気もするし、そもそもエゴサーチしているか知らないし、調べたって私のブログなど出てこない可能性だってあると思っている。

が、今回角氏の動画を見て、アレ?今この話題?とは思ったんですよね。私のipadちゃんが今回シェアした動画を表示したから再生してしまったわけですが、もしこのブログがご本人の目に触れる 1/1000000000000000000 の可能性があるのなら書いておきたいことがあります。

それは角氏が引き寄せについて出版されて売れ行きが良いらしい(おめでとうございます)とどこかで見たからなおのこと書いておきたい。

私は引き寄せについて否定していません。 いや アンタ完全に否定しとるやろ。と言われることも秒で想像できるけれども、違うんです。引き寄せなど無い。という証明は悪魔の証明となり私には証明できません。

それを信じて人生Happyならそれが一番だと思っている。じゃあなぜ否定的としか思えない内容を書くのか? それは、私が私の脳内で整合性が取れてない違和感を言語化して確認しただけ、と言えば近いのかもしれない。そう、世界の片隅で脳内処理案件について書いては思考し、考えては書き、自分の中で整合性が取れていないと感じる部分を精査しているだけにすぎません。

だから、減らず口を書く。というのは非常に正直に表現できていると思う。

 

過去も何度もお願いしていますが、世界中にいる何億もの人間の中の一人、権威もないただの個人なので、読んでくださっている皆様におかれましては、気にしないでください。ましてや凹んだり傷ついたりしないでください。どうぞご自分の信じる道を進んでください。私に言われなくてもお進みになるでしょうが。

 

ただ、私はこのように生きてきて、春日武彦先生の著作に出会い、それまで自分が感じていることをマトリョーシカ現象と表現していたことに「フラクタル」という名前があることを知り、・・・・というような例もあるように、体験と感覚と名称が合致したりして、ジワジワと知識や思考を結合、成長させてきたつもりでおりまして、脳内のおさまりが悪いものに対して喰い付いて、考えて、書いて、考えて、が始まっちゃうんですよね。

だから、今回、角氏については何も考えてなかった。考えているのは自分のことだけだった(笑)

だから、世界の片隅からとはいえ、個人攻撃しているように思える可能性など微塵も考えてなかった。そもそも、私の引き寄せの法則云々は出会いが相当古いから、そこに角氏はいないんですよね。7/5の件も角氏も拡散側だったことすら記憶が無かったし。

 

優しい方のようにお見受けしたので、1/1000000000000000000 でも凹んでしまった可能性があったなら、説明文を書いておかなきゃと思ったということです。自分ができることはできる時にやっておこう方式で。

 

生きていたらいろんなことがありますでしょ?その起きる「いろんなこと」をすべて引き寄せたとみるのか、ある程度は自分がコントロールできない影響もあるとするのかでも価値観も変わってきますし。

 

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

訂正

潜在意識を考えてみた その2 – 武田美紀のブログ

上の記事内で 占いの皆さんが必ず言う「統計ですから」のその溜まりに溜まっているはずの統計(資料)を目にしたことが無い。と「統計」という言葉の使われ方についての疑問を書いたけれども、何年か前に「ゲッターズ飯田氏は実際にノートに記録し続けていて今もそのノートがある。」と聴いたし、ラジオだったかもしれないがそのノートを実際にみた相手の方が「わぁ すごいですね」と言っていたのを聴いたことがある。

 

だから、統計を実際に個人で記録されている方もいました。

それをお持ちだと私が認知できたゲッターズ飯田氏には訂正してお詫びします。

巻(Maki)によるPixabayからの画像

 

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