ゆく年くる年 新年あけましておめでとうございます。

バランス調整・ストレスケア

健康で平和で安全、笑顔のある生活と、ますますの発展の扉が開いた朝。

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます

2026年 あけましておめでとうございます。

 

今年もお世話になります。

よろしくお願いいたします。

 

皆々さまにおかれましては、健康と平和と安全、笑い声のある生活をおくられますよう祈願いたします。

もちろん私自身についても祈っております。

 

やれるなら、やれるうちに

社会の物差しや、他者の価値観・評価を優先にして自分の「やりたいこと」を決めていることが多いのだと気が付く時があります。

 

  • あんなことをしても無駄だ
  • お金にならない
  • 評価されない
  • 賢い選択ではない
  • 占いではダメだと言われた 他

いろいろ頭をよぎったり、実際に言われることもあります。

 

確かに他者のアドバイスが実際のところ的を得ていることもある。

ケースバイケースだから「やりたいことをやれ!」などと言い切ることなどできないのですが、やりたいこと、本当は価値基準的に一番魅力を感じていることを後回しにする癖を数多くの方はお持ちだと思う。

心の底で、(いつでもできる。将来やりたいと思ったときにできる。)と考えている節がある。

将来やればいい。やろうと思えばできる。と思ったら

私のMy統計、自社データ的には、「やれるときにやらないと、もうその先できるチャンスも来なくなる。」なんていう事例も多い。

私個人的に、それが叶うタイミングだった。と結果的にそう言える出来事があった中で、「それが実現化するための出発点に立てるチャンスの扉の閉まりかけにギリギリ滑りこんだ」と感じたケースもあった。

アドベンチャー映画、重い扉が上から降りてきていて、扉が落ちる最後の数十センチの隙間に滑り込むインディジョーンズのようなイメージだ。

別のルートがあるのか、無いのかはわからないが、そのルート以外無い。やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかったから結果その先の人生でチャンスもこなかった。ということもあるだろう。

チャンスは何度でもある。という案件もあるだろうし、チャンスは一度、チャンスは2度、という案件もあるような気もする。

正解はしらないが、私のMy統計、自社データ的にはそんな感じがしている。

 

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。それを「後回しにした」ともできますが、人間の心理には心理的矛盾とか、葛藤というものがある。

 

やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。どころか、叶わないための選択(行動)をする。ということのなんと多いことか。

もちろんこのような行動様式をするご本人にはちゃんと理由がある。自分に言い聞かせることができる理由がある。

 

ただ、ここがのちのち後悔する最大の理由。

なにをどう後悔するのかというと、「やろうと思えばやれたのに」ということであり、そこをもう少し深掘ると「現実にはそれを手にしなかったのに、まるで手にしていたものを失った、逃したようなある種の損失感」に似ているからではないだろうか?

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

潜在意識の影響か?

現実にはそれを手にしなかったのに、まるで手にしていたものを失った、逃したような感覚がなぜするのか?

そこにこそ「潜在意識は現実と仮想の見分け、区別がつかない」を適応してもらいたいと思っている。

そう、逆引き思考のようなものは視点の1つとして非常に面白い時がある。

 

だって、

  1. 後回しにしたって
  2. まるで叶わないための行動をしたって

すっかり叶えられる(どっちみち将来は叶ってますから)つもりになっているその様は、引き寄せの法則と唱える方の「潜在意識は現実と仮想の見分け、区別がつかない」的には「叶ってる」と言えますよね。

 

でも、やろうと思えばやれたのに、叶うための行動をしなかった。ということは違う法則「行動と結果の法則」的には叶わない。

 

人間を知るということは、深いなぁ といつも思う。

ご都合主義ならオールOK。ご都合主義だって主義は主義だ。個々の好みだ。

自分の思考だけ、判断だけ、規則、物語、価値観だけに固執していると「人間」が見えない。

日々勉強って思うけれども、自分の半径10メートル以内でも学ぶことは沢山あり、以前も書いたけど、「遠くの事象は近くの事象に含まれている」「世界の事象は自分の半径10メートル以内でも起きているから学べる」というフラクタル性はいつでも存在しているなぁと思うことが増えた。

フラクタル性

社会の中にはエッシャーの隠し絵のごとくフラクタル性、フラクタル図形が無限に隠れていて、なんちゃって客観視やなんちゃってメタ認知ではなくて、冷静な客観性、嗜好・感情を一旦脇へ置いてのメタ認知に熟練すればするほどフラクタル性、フラクタル図形の分布というか、集合する様が浮き上がってくる。

と、私は勝手に考えている。

 

この時に、私が書いた「影響の法則」とどの程度距離を置けるのか?

潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口 – 武田美紀のブログ

 

いや、生きている限りは影響の無いヒトなどいないから距離を置くとかという表現もイマイチなのだろう。

「生きている限りは影響の無いヒトなどいない」については、遺伝子を持っている時点で、いや、この世に生まれた時点で影響の結果なんで。という意味も含んでいます。

 

「私は他者の影響を受けません」と狭い範囲、小さな意味で言いたい(頑張りたい)気持ちもわかる。が、そう発言した、そう思考した今のあなたが影響の結果の存在なんで。とも言えるし、フラクタル性を小さく(ズーム?)していくと、「私は他者の影響を受けません」と狭い範囲、小さな意味で言いたい(そのスタンスを誇示したい)気持ちになったそこにもなにかしらの影響があり、そう主張したくなるような影響があったということでしょうから。

 

今思った。

こういったことは、書くより喋ったほうが早いよね。ニュアンスも伝わる。

音声コンテンツを将来考えてみようかと、ようやく思えた。

しかし

いや、私はタイピングして文章を書くことを大層好んでいますが、これをやめて音声に切り替えたらボケやしないかとちょっと心配ですわ。ほら、指先を使うとボケにくいって聞くでしょ?

もうね、自分の老いも視野に入れんといかんのですわ。私超富裕層じゃないから永遠の命ってないし、老いるし、生命の保証もないし。凡夫は自分のボケも視野に入れておかないとね。

 

元旦の熱量(笑)

新年のご挨拶をアップするだけの数行のブログのつもりで、「やれるなら、やれるうちに」とサラッと書いたら、自分のその書いた文字に影響されて予想外に長くなったし、ここのところなんだか頭が良くなってる気がして今日もまた(うまいこと書くな~)と悦に入りました。(笑)

元旦から楽しいっす。

皆様はとっくにお気づきだろうが、今また潜在意識について喰い付きシーズンが来ている。

そう、一方的にこれは真実だと型通りの説明をされる潜在意識(正しくは、引き寄せの法則の際に説明される潜在意識です)について、ちょっと角度を変えてもそれが法則なら成り立たないとおかしくね?という減らず口を書いているわけです。

 

まぁ、ちょっと賢い方に ツン とつつかれたら大きな風穴があくかもしれませんが、ここが凡夫の悲しい性で、なんだか自分が頭がキレているんじゃないかと自己陶酔するという。

面白いのは、こりゃ良い視点だとか、この論理展開はうまいこと書いたな、とか思うときの脳の状態ってちょっと違うんですよ。昔も書いたけど、一段階ギアが上がって、スルスル~と軽くなるんです。で、あぁ今ギアチェンジしたな~って体感があるんですよね。

多分、思考の際に発する電磁波?生体電気状態?の質が変わるのを体感として感じているんではないだろうか?

または快ホルモンの体感なのかもしれない。

 

そして、今、次のブログの内容も脳内で決まっておりますので、また書きますね。

lil_foot_によるPixabayからの画像

 

どうぞ どうぞ 2026年も引き続き 健康で笑い声のある生活をおおくりください。

お互いに、ですが。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

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