歴史から学べない

バランス調整・ストレスケア

歴史・・・

何度か自分が興味を持てるかトライしたが・・・

歴史から学ぶってよく聞きます。

政治音痴、歴史音痴の私からしたら学ぼうにも歴史が苦手なんですよ。歴史から学ぶということと相性が悪い。非常に相性が悪い。相性で片づけるなよ!と言われるだろうけどしょうがない。

政治については、子ども達や若者たち、将来を担うご夫婦、独身者、真面目に生きてこられた諸先輩方が暮らしやすくなるには?という今までは持っていなかった興味を持つようになって少しずつ、薄い表層から触れられるようになってきた。

関心を持つようになったとはいえ、私個人の願望が叶うとも、反映されるとも思いにくいが、無関心よりは良しとしている。

歴史から学べる?

で、歴史から学ぶという話をされている方が、「そこには似たようなパターンがある」とおっしゃっているのを私の人生で何百回目か、何千回目に聴いていて

あ! と気が付いた。

私は「○○は何年の話だった」とか「あの時は〇才だった」とか「あれから〇年経っている」という自分の時系列も関心が薄いどころか覚えてられないが、自分以外の「社会的な歴史」という時間軸を注視するのはこれの数百倍苦手だ。

しかし、「今目の前のことを感情抜きで記憶する」「認知の歪みに気付くチャンス」と「時間軸のない並行宇宙的視点」「My統計」という横軸、並行軸から「フラクタル・相似性・パターン」を抽出することとは相性が良い。

繰り返しているのは歴史ばかりではなく、事象は同時進行で繰り返し起こっている。縦軸も横軸もないマルチというか、球体というか、無限領域というか、仮想空間というか。

 

歴史がこんなに頭に入らないのは(一種の?当たり前の?)バカなんじゃないか?という点についての冷静さは持ち合わせていますが、それが自分には難しくて相性が悪くても、より自分が理解しやすい相性の良い理解、認知方法があるということを今さらながら腑に落ちた。

学校では単に社会科の成績が悪い子となるが、社会に出てからは

「今目の前のことを感情抜きで記憶する」「認知の歪みに気付くチャンス」と「時間軸のない並行宇宙的視点」「My統計」という横軸、並行軸から「フラクタル・相似性・パターン」を抽出することとは相性が良い。

みたいな点が強みになることもあるんだと理解した。

バカにされたり、軽んじられたり、意地悪されても感情的に瞬時に反応できずに、後から(自宅に帰ってからとか、風呂に入っている最中にようやく事態が把握できて)怒るという悔しい思いも沢山しましたが、即刻感情優位になり過ぎずその分現象を解析できるという利点になる場合もあったみたいです。

これが勉強に活かすことができればよかったんだろうけど、学校で勉強する時分にはこれらの特徴はまだ育ってないからどうしようもなかったわけです。

私の強みとなるような特徴は、知識、情報に自分の体験、体感、実感が加わったものなので、M統計や事象のエッセンスなどが集まるまでそれなりの長期間(時間)が必要で学習速度や成長速度が遅いので、もうしょうがないことです。

データが少ない若年期には発揮できない強みですから。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

大切にする優先度が逆なケース

ココまでの文章とは関連性が無いような話題に転換しますが、ちょっと説明します。

昔の有名な哲学者が残した言葉に「幸せな家庭は似ているが、不幸な家庭は様々である」とありましたが、もう少し正確な言葉を調べたらこちらでした。

これはロシアの文豪レフ・トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』のあまりにも有名な冒頭の一文です。
「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭にはそれぞれの(異なる)事情や理由がある」という意味を持っています。

これも、この言葉を知ったのは子供の頃だったか、成長期だったかと思いますが、この言葉の意味をもう少し深く理解したくて(あの言葉は何を見て出てきた言葉だろう?)と頭の中に?(はてなマーク)を残しつつ、起きている現象を淡々と見つめることで検証するかのように社会生活を送ってきましたが、こういった点にアンテナを立てて(フィルターという意味ではないつもりです)物事を見ていますとMy統計が集まってきます。

幸せな家庭と不幸な家庭の違い

で、確かに幸せな家庭と不幸な家庭と定義される差は「家人の成熟度や家人が選ぶ行動の優先順位によるなぁ」という一面が見えてきたように思えました。

社会的な活動や評価は大切にするけれど、家族が後回しで、結果家庭の幸せから遠ざかるという現象が多いですよね。内弁慶というか、外面が良いというか、動画タイトルにもあるような心を許した相手を雑に扱うというか。

甘えと言えばそういう側面もあるでしょうか。なにかしらの余裕が無いと言えばそういう面もあるでしょうか?

そのように扱われていたら当然心を許していた相手もいつかは変わりますが、自分の想定以外となった相手と関係修復したいか?ただただ逃げたいか?どうしたら良いのかもう何も考えられないから放置する?などで未来も関係性も決まるのでしょうね。

となると、自分が育った過程・環境でその方法しか学習していなかったら、自分で相当に習慣を変化させる努力をしたり、気づいたりしないとただただ自分が育った過程・環境を踏襲するだけになりがちだろうし、自分が育った過程・環境をコピーした家庭を作りやすいだろうとは思う。

あんなに嫌がっていても不思議なほど相似形を成すケースが多い。

それをしていると一緒に幸せを構築していく相手・パートナーとしては成り立たなくなってきますが、不思議なほどそこは考えずに、思い通りにいかなくてイライラが増すということは珍しくありません。

う~ん、やっぱり精神的な成熟度、「大人」な思考の有無は関係してきますよねぇ。それに、この面では歴史(自分の人生体験)から学べない方もそれなりに居る。歴史や社会科の学校の成績が良くても歴史からは学んでいなかったりしますでしょ?

 

という事例を、フラクタル図形が浮き上がってくるかのように散見します。私もそこに含まれていたし。

コミュニケーションって双方のバランスによって幸せも生むし、シンドさも生みますね。

 

下記の動画の解説もご参考にしてください。

巷で珍しくない現象なんだから、そこからの抜け道もあるし、考え癖の修正だってできますからね。

まずは自分を振り返ってみて、認知の修正をしたいかどうかを落ち着いて考えてみても良いと思います。

 

言うのは簡単、やるのは根気も思考力も必要。

コツコツ長い時間がかかると思っていた方が覚悟ができると思います。

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