フォースを見る

ラジオ番組・YouTube

勉強になりました

全体を見ることはフォースを見る事だそうだ

どなたの発言か忘れました。

YouTubeだったのか、オーディブルだったのか、映画のセリフだったのか覚えてないです。

 

私はよく、世の中に同図形のような共通点が浮き上がって見えるような気がする。

いや、図形が浮き上がって見えるというのは比喩です。私は音楽が色に見えないし、色が音符にも見えないし、楽譜が数字にも見えない。「浮き上がって見える図形」という比喩のその実態は「事象に共通するエッセンス・要素」に過ぎないが、だまし絵の中から隠し絵が浮き上がってくるような感覚があるのはそれはそう。それがフラクタル性・相似性を視界や情報や現実から拾っているようなつもりになっているのですが、なんとまぁこれらについて

全体を見るのはフォースを見ている

とうっかり忘れてしまったどなたかがおっしゃっていた。

 

ふぉ、ふぉ、フォース!

前のめりになりそうだったわ。(笑)

となると、昨日blogでシェアした精神科医氏の解説される「メタ認知」も「フォースを見る」ということとも共通していることになりますね。

 

我が子にはYESマンになって欲しい。なぜなら聞き分けの良い人間は良い人間だから。

こちら ↓ のblogで「人生観の考え方に『我が子にどう育って欲しいのか?』と捉えてみてもいいかも」と書いたのですが

 視点や視座

親御さんが「我が子には聞き分けの良いイエスマンになって欲しい」という方もいますよ。共依存関係だとそう欲するケースもある。子供の自主性や子どもが自分で考え始めて自分のコントロール外にでることを嫌う保護者もいます。

親が自分のための子ども(子どもが自分を満たして当たり前)だとしているケースもあるでしょう。例えば、機嫌が悪い時に八つ当たりする用に子どもを利用するケースもあるし、夫婦間のトラブルの緩衝材に子どもを身代わり・スケープゴートとして利用するケースもあるでしょうし、芸能界にも風俗界にも自分の贅沢の資金源が欲しくて子どもの身体を売る親もいたりしますし、保護者が他者に優越感を感じたい・自慢するための条件を満たすための子どものケースもありますよね。保護者側は「自分が親だ、保護者だ」し、「子どものための思って」という言葉も使うし、愛しているという言葉も使うようです。

それは保護者がそのように育ったからそれしか知らないってこともあるし、親自身がその環境を嫌っていたも関わらず気が付けば同じことを家族や配偶者、子どもに同じことをしているケースは本当に多いし、親が親自身自分で考えることよりもYESマン=素直だという価値観で生きてきたら、我が子には同じように生きて欲しいし、それ以外は嫌うかもしれません。

確かに子ども側が何を考えて、何を選択し始めるのかも関係しますが、間違えた選択も軌道修正用として勉強経験にもできるし、価値観の構築にも利用できることだってあるけれど。

 

そんなこんなの濃淡も含まれての

「人生観の考え方に『我が子にどう育って欲しいのか?』と捉えてみてもいいかも」

になるのだろうという補足をしたかった。

 

世の中には「宗教2世」が心理的、身体的虐待を感じたり、訴えたりするケースだってあるわけで、なにが良いとか、悪いとは簡単にいかないケースだってあるんですよね。

驚きの人生相談

とある人生相談の需要がある方に、親御さんから「息子が自分(母親)の理想の生き方とは違う選択をしたいと言い始めた。息子が自分で人生を決めようとするその心を徹底的に折る方法を教えて欲しい」という相談があったんですよね。

このような感覚の親御さんは、我が子がメッセージや占い、教え、思想に加えて「自分(このお母さん)」の言う事に従う人生や選択は大賛成されるかもしれないね。

ですから、美しい言葉や綺麗な言葉はさほど信用できないことだってある。

自分の調子が良い時と悪い時は考え方も違ったりする

人生の調子がいい時は無双感、無敵感があるでしょうし、人生が自分の思うとおりになる(いや、俺は、私はそれができる)と信じますよね。プチ天下を取った感とでも言いますか。

人生の調子が良い時ってほとんどがそういうものだと思うんですよ。

当たり前が変わる時

私も過去、価値観が雪崩のように崩壊して、その時のストレスたるやすごかった。信じていた世界や価値観が確たるものかと思っていたら「空」だったわけだから。

私個人の体感としては、ある程度いろいろわかっているつもりでいたし、清濁併せ吞んだある程度の世の中の仕組みや成り立ちも理解しているつもりだったけど、信じていた価値観の崩壊であんなにストレスを感じたり、ショックだったりしたということは思考だけでわかっていたつもりになっていただけでその実「理解」はしていなかったと自覚しました。

はるか昔のあの時に「自分が信じていた世界は『空』『虚』だった」と嫌というほど体感した。世界が『空』『虚』でもあり、自分も『空』『虚』なんだと思わずにはいられなかった。

 

が、これもその後のメタ認知の拡大に繋がったし、今回のタイトルにあるようなそれまでとは違うフォースの見え方をするようになったかもしれない。

ある種の脳の発達があったかもしれないね。

時代も関係する、社会情勢の影響も受けたりしますから、無双感、無敵感、プチ天下感が変わる時もある。

そんな当たり前を忘れることもある。

Susanne NicolinによるPixabayからの画像

タイトルとURLをコピーしました