ストレスケアと人生

バランス調整・ストレスケア

ストレスケアをする良さ

思考力との関係性

毎度のことながら、以前もどこかで書いた記憶があるがまた書く。

そのためにこちらの記事をシェアします。

法則の使い方が悪い? どーゆーこと? – 武田美紀のブログ

 

というのも、私自身が、引き寄せの法則だの他の似たような〇〇の法則について、

最初から鵜呑みにしたわけじゃなくて、いろんな段階があるということに触れているからです。

改めて書くと

  1. 〇〇の法則という考え方を知る
  2. へぇ~と興味を持つ
  3. 使えるものなら使いたいと思う
  4. しばらくやってみる
  5. 良いことも悪いことも普通のことも生きていればいろいろあるが、願ったことや思考と現実の結果との具体的な関連性(どの原因がどの結果と結びついているのか)などはっきりしない。関連性をつけるのは人間の側の思い込みや願望というとある事実について考え始める。
  6. この段階になると、これら法則をセールスする側の理論の穴が非常に気になってくる。理論じゃないんだよ想念の話だよという説明も含め(なにかどこかがおかしいんだよなぁ)と違和感が増してくる。
  7. これらに伴い、なぜすんなりヒトは信じすぎるのか?という点も気になってくる。
  8. こういった法則を広める側、セールスする側の思考、嗜好の全体像をうっすら推測する。(個人的なお付き合いがないので)
  9. 違和感がクッキリしてくる。

というような段階がある。

 

一応念を押しておきますが、引き寄せの法則などについてご本人がそれを信じて、人生がうまくいけば良いし、幸せならそれが一番。

ただ、私個人は違和感を感じている(違和感を感じ始めた)のに気が付かないふりや鵜呑みにできないという脳の性質があるものですから、しょうがないんです。

違和感を言語化する

先ほど書いたような順番で自分の違和感を具体的に分類し始めたのですが、やっぱり言語化っていいもんだなぁといつも思います。

私個人の価値観が変わることってあるし、信じるものが変わることもあるのですが、今まではAのように感じていたが、今はBだと感じる。というような変遷も自己理解できることがありますし。

 

ただ、この「違和感」こそ個々によるもので、正解はないというか、人生の数だけ価値観がある。というようなことですものね。

rubyliaによるPixabayからの画像

 

では本題の「ストレスケアと人生」について

人生観とか、ストレスケアについても価値観は様々なので、あくまでも私個人の今の段階のとらえ方だとご理解宜しくお願いいたします。

 

よほど運が良い方じゃないと、人生を進めていくうえで思考力は大切だと思っているんです。

よほど運が良いか、よほど欲・欲求が無いかじゃないと、生きていると遭遇するアレコレのあちら側に振り回されてしまう。振り回されることで学習して次に活かすことだって素晴らしいことですが、思考力がないと体験からの学習率が低いまま維持してしまう気がします。

 

で、実感するのは、思考力と、その思考力によって選択される行動というのは、ただストレスケアしたら身につくものじゃない。

癒された≠(ノットイコール)思考力がつく という当たり前のことなのですが、先にあげた「引き寄せ云々の法則系」のように

「ストレスケアをしたら思考力が伸びる」「ストレスケアをしたら人生に満足する」というまことしやかな解説、思想ってとっても耳心地が良くて信じたくなるじゃないですか。

一粒で二度おいしい的に、自動的にオマケが付いてくる感がして。

ストレスケアしたら賢くなれるらしいよ。みたいな。

 

原因と結果をなんだかふんわりとした良さげなものとくっ付けた。

途中経過の指標は無し。

だから乱暴と言えば乱暴、粗いと言えば粗い、強引と言えば強引。

 

Thomas WolterによるPixabayからの画像

自動付帯じゃないんじゃない?

「ストレスケアをして、そののち考えよう」みたいなことも、確かにストレスケアをして感情が落ち着いたら考えている気になりやすいですが、実は思考力はストレス過多の状態でも思考力のある人は考えているし、ストレス過多だからこそ思考力が伸びるという一面を持っている方もいる。

そうなると、ストレスケアはストレスケア、思考力は思考力。別物です。

 

でも、多分、「ストレスケアをしたら思考力が伸びる」「ストレスケアをして、そののち考えよう」とセールスするというのは、ご本人もそう思って居るだろうし、本当にそういうタイプなのかもしれないが、「こちらが正解というわけじゃない」と思っています。

この因果関係は耳心地の良い願望思想的価値観かな。と

 

※人生観とか、ストレスケアについても価値観は様々なので、あくまでも私個人の今の段階のとらえ方だとご理解宜しくお願いいたします。

 

混乱をしていることに気が付かない

ですから、ストレスケアはストレスケア、思考力は思考力。別物であって自動付帯、自動連動ではない。だから、五感や気を整えるというようなストレスケアは私も採用していますが、これはただただストレスケアだと思っているし、またメッセージ云々というものはまるで思考したかのような感覚になるだけで、フェイク思考力かと感じる度合いが高まっています。

ここに人生論を持ち込むから余計に混乱する。他者の物語でストレスケアをしようとしているのと似てませんかね?

 

ですから、ストレスケアをしているつもりでも実は混乱を招いていたり、回復をわざわざ遠回りしたりというような結果を生むケースって多いような感じがしています。

 

という事例の方がほとんどじゃないかと最近ますます思うようになりました。

 

私にはお陰様で非常に優秀な友人がいてくれまして、「心理で心理は改善できない」という名言を聞かせてくれました。

最初に聞いた時よりも、年月が経つにつれこの意味が自分にしみわたってきて、今回の場合は、他者の物語をただ見聞きしているだけで自動的に自分の思考力(考える力)が伸びるわけではない。」と言い換えてもあながち遠くないような気がしています。

John HainによるPixabayからの画像

他人の物語 他の例

以前、ディズニーのプリンセス思考に染まり過ぎると、「王子様がすべて自分の望みを叶えてくれる。なぜなら私はお姫様だから」というような他者依存なのか他者支配なのか微妙な価値観を持つことにもなりかねない。という なんですかこれは フェミニズムというものですか? という一理あるお話を紹介しましたが、ただ命令する側のお姫様でいたい価値観もあるだろうし、パートナーと同じ目線で協力し合うことに価値を見出す方もいるだろうし、完全服従するのが好きな方もいるでしょうから、それは好き好きに生きていかれるのでしょうが、ディズニーのプリンセス思考に染まり過ぎたのが事実であれば、それは他者の物語を生きていることになる。

考えているつもりで考えてない。

 

私も以前、自分が影響を受けたものの集合体を「理想像」としていましたし、その最中は考えているようで考えてない。ただ洗脳に流されているだけ。という経験もしておりますから、「考える」「思考力」という言葉もその内容がその人の資質や状態により全然異なるとも思っています。

 

自分の中で何かを構築していくって一朝一夕なことじゃないし、何かを構築しているつもりでも欲、欲求、感情にあっという間に凌駕されて予定と違うことをやっていることだって普通にある。

 

こういうこともあって、ストレスケア≠(ノットイコール)考える・思考力 と捉えているという話を今日は書きました。

ramazan balayevによるPixabayからの画像

 

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

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