なぜ簡単にハニートラップ陥落?

バランス調整・ストレスケア

ハニートラップ

遠いものは近いものに含まれている

数年前?10年近く前?、まさにこの「遠いものは近いものに含まれている」というタイトルでその当時まだ言葉を知らなかったフラクタル理論について書いた。

その昔の記事を書いたのがアメブロだったような気もするが、もうあちらはブログを削除して断捨離整理しちゃったので記事は見つからなかった。

しかし、世間を騒がす、要職の方がハニートラップにかかるという情報で、その際昔の前原議員の流出写真と言われて紹介された写真を最近初めて見て、なぜ「いとも簡単に」と思えるようなこすり倒された術中に陥るのかを身近なケースと共通する事象として理解した。

socialtrendspr0によるPixabayからの画像

ありのままの自分を愛して欲しい

ハニートラップなんだから、ありのままの自分を愛して欲しいとは真逆でしょう?と思いませんか?しかし、やはり心には隙間があるんですよね。その隙間には「立場やお金が目当てではなく、無条件の愛が欲しい。ありのままの自分が愛されたい。」という欲求が入りやすいのではないだろうか?

 

出会ってすぐ、そもそも会ってすらいなかったら「お金が必要だから○○万円頂戴」と言われたら ふざけんな と多くの場合は判断するだろうけど、ここにロマンス、恋愛感情が入ると国際(国内でも)ロマンス詐欺でそもそも会ってすらいなくても相手や出会いを信じたくなるんですよね。

あら大変。私が用立てるわ。とか、二人の将来のために私のお金を使って。とか。

 

運命の出会いだし、運命の相手と信じるから迷いが無い。

そう信じたい。という強い信念。

Taras LazerによるPixabayからの画像

要職の方のハニートラップの場合、自分の立場を知っても(わざと知らん顔していても)お金も何も要求しない。ただ好きだと言ってくれる。グイグイ積極的に来てくれる。

要職の方の場合は、好みのタイプも研究されて適材適所なハニーさんが配置されるらしいので、自分好みの相手が、お金も何も要求しない。ただ好きだと言ってくれて、迷いなくグイグイ積極的に来てくれたら(お好みなら静かに待ち続けてくれたら)、それはもう「純愛」だ、「運命の出会いだ」と思うだろうなぁ 東大を出ていたって、ハーバードを出ていたって。

立場と職業、学歴って人格・お人柄・智力と関係ないんですよね。勉強だけして出世して、内面がその要職に伴うリスクに対して幼稚な姿のままですと相手からしたら赤子の手をひねるようではないでしょうか?

「純愛」だ、「運命の出会いだ」が相手にストンと入ってしまえば、あとからハニートラップとわかって当人が傷つこうが、落ち込もうが、その立場を利用したら良いんですから。

胴元はあちらになった。それがバレたって痛くもかゆくもない。かえって脅しに使うでしょうし、その要職に伴うリスクに幼稚な姿のままだからこそ自己保身でどうにでも言いなりになるだろうし。

ありのままの自分を愛して欲しいという願望があったとしても

人間の心理というのは、状況を見るチカラがあると紐解けることも多いような気がしたのは、ハニートラップに引っかからなかった方がどうして難を逃れたのかお話されていたのには、

1,上司からそもそも気をつけろと聞いていた

2,部屋に頼んでもいないマッサージが来たが、ドアチェーンの隙間から見えたそのマッサージさんの手に真っ赤なマニキュアが塗られていて違和感をもった

とありましたが、1,については皆さん一度は「気をつけろ」と聞いているはずだけど覚えていられないのか、忠告を聞く素直さが無いのか、判断が甘いのか、感情に流されやすく部屋に入れてしまったり、宿泊先のホテル以外にもそもそもそういう場所にいって雰囲気に飲み込まれてしまったり、判断が鈍ったり意識が飛ぶ薬を盛られているかもしれないですね。

ひょっとしたら、接待されるのが当たり前だと思っていて、頼んでもいないマッサージさんが部屋に来ても、(これも接待に込々かな?)と甘い汁に慣れて立場におぼれたかもしれない。

警戒心が低すぎるのでしょうか。

2,については観察力ですよね。

1も2も学校では教えてくれないことです。

 

しかし、「純愛」だ、「運命の出会いだ」というものは心のどこかで、または思いっきり求めている方が多い案件です。この物語は非常に酔っ払い易い。みんな大好き。

あなたの周りにもいませんか?これらを追い求めている方、これがそうだと信じ込みたい方、そうだと思っていたのに違った!と悲しんでいる方、運よくその通りの方。

 

いろんなケースを見聞きして、私も自分の経験を通して思うのは、「純愛」だ、「運命の出会いだ」という名称とか条件とかに自分をあてはめなくて良いんじゃないか?と思うようになりました。

そういう名称や条件じゃなくて、上手くいっているのなら目の前の相手と大切に付き合えばいいだけだと思うし、上手く行っていないのなら一旦名称や条件を脇へ置いて冷静に認知することも大切だろうし。

いやいや、なにもしっかり知るつもりなどありませんよ、ぼやかして、ふわっとさせたままこのまま続けますよ。という選択をする人生もあるんだと思っています。

カウンセリングとセラピー、ケアの使い分け、配分

自分の大切な人生をどう生きるのか、選択することができるのなら、その環境を大切に味わってほしい。なにもかもをハッキリさせることばかりが良いとも限らないし、ヒトにはそれぞれ合った生き方があるとも思う。

私は人間の心理や苦しみの原因を解析する癖のようなものがあり、ぼやかして、ふわっとさせたままこのまま続けるということの方が難しいこともままあるから、それを他者へ強制などしないし、お互いの生き方を尊重したいと思っています。

ですから、前回書いた

自分がわかるとき – 武田美紀のブログ

”好きも嫌いも感情的に反応しているのに加えて、自分を知るツールとして利用したら良いとは思うけれど、その分量はカウンセリングとセラピー、ケアで違いなどもあるように思う。”

のように、相談者さんがその時何をどこまで求めているのか?によってカウンセリングとセラピー、ケアのどこをどういった割合で取り入れていくのか変わってくる。

 

いろんな料理屋さんがあって、1年365日具材も調味料も全く同じ分量で提供するお店もあるだろうし、夏と冬、同じ季節でも気温や湿度で調味料(例:塩味など)の配分を変える料理屋さんもあると思うんですよ。

そういう感じに、相談者さんの相談内容や求めるものによってカウンセリングとセラピー、ケアの配分が異なります。バランス調整をしないセッションもあって、それこそ深堀したり価値観を確認して再精査するような積極的なナラティブ(物語)カウンセリングを行って、相談者さんが自身の人生や問題を「物語(ナラティブ)」として語り、カウンセラーとの対話を通じてその解釈を書き換える手法(AI解説)のみで完了することもあります。

 

相談者さんの傾向として、ご自身でかなり深堀してある程度まで来てる感じはするけれど、あと一歩で何かを突破できそうな感じがするからそのサポートとして心体カウンセリング™ を利用したいという方も多いような気がしてまして、私のブログやホームページを確認してご予約いただく方などはセッションで取り扱いたい焦点が明確な方が多いのも、バランス調整だけがメインではない心体カウンセリング™ を行っている理由となります。

潜在意識最優先のセッションをお好みの方はそのようなセラピストさんにご予約されるでしょうし、料金だって大切な条件ですし、正規の医療機関じゃないと利用したくない方もいらっしゃるでしょうし、個々の希望に沿ってカウンセラーやセラピストを選ばれていると思います。

また、相談者さんご本人から、ストレートに「施術やバランス調整ではなくて、対話カウンセリングを受けたい」とおっしゃってくださる方も過去にいらしたので、リクエストにお答えしたこともありました。

世の中にセッションの方法も星の数ほどいろいろあり、私もバランス調整メインのセッションもかつてはしていましたが、年月を経て、相談者さんの相談内容や求めるものによってカウンセリングとセラピー、ケアの配分が異なるようになりましたし、バランス調整という施術をしないケースも増えました。

対話しているときに相談者さんも私も(あ!今変化したね)と体感があるケースもあるから、バランス調整って自己発動的に起こるときもあるね。とも感じています。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

チヤホヤして欲しい、チヤホヤされたい

やれやれ、話が脱線し過ぎました。申し訳ありません。

 

これもはるか昔にどこかで見かけた日本の方のセリフなのですが、「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」とおっしゃってました。

チヤホヤされて持ち上げられてすっかりその気にいると、ある日サッと椅子が引かれる。という意味だとあの当時は理解しました。確かに世間様は気が変わりやすい場合もあるし、風向きってサッと変わることがありますね。

 

しかし、チヤホヤされたらいい気分だし、自分が特別扱いされたらプライドが満たされるし、競争意識が高い方はヒトから抜きんでた感じが満足だろうし、童心に戻って無条件の愛が欲しいと感じることもあるかもしれない。

Cheryl HoltによるPixabayからの画像

で、ですね、ここにもなんだかパターンがあるような気がしています。スピ系の方や悟りとか、宇宙とか、ヨガとか、瞑想みたいな方面を好まれたその先に アレ?!どうして?なんだか? という独特なフラクタルパターンに「禅病」という表現があるような感じと似ているのですが、チヤホヤを享受されたであろう方たちがその先に似たような「境地」に辿り着いていらっしゃるようにお見受けするような気がするという超個人的な感覚でしかありません。

それは、「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」という感じでしょうか。

 

「フワフワっとした無重力感」を「神輿に乗っている状態」なのかと書きながら思いましたが、一生チヤホヤされる方って少ないみたいで、いつの日かそのブームというか、「神輿から落とされる。神輿から落ちる。」日が来るような気もします。

神輿の担ぎ手がいなくなるというか。

このご本人には残念な変化が来て初めて「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」からハッと目が覚めて、考えたり焦ったりしますよね。

ハニートラップともこういった感覚って似ているんじゃなかろうか?

 

ですから、私が神輿に乗るようなことがあろうものならその道が防御されたり、逆風をビュービューと起こしてくださった方や当たりがキツかった皆様にも実は深く深く感謝も感じているんです。「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」になれない。それどころか、考えて、深く自分を観て、根っこを張ることで楽になる道を探求する以外なかったみたいな環境でいられたからです。加えて、「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」というはるか昔に知ったセリフにも感謝している。

担ぎ手はどこだ? 担ぎ手を要求するケースもあり

「神輿には乗らない。神輿に乗ると落とされる。」というはるか昔に知った知識があったからこそそこに意識を配って世間を見るという学びにつながりました。

マサコ アーントによるPixabayからの画像

それによって、「私(俺)を神輿に乗せてくれ。神輿に担がれるのは当然の権利だ。」みたいなエピソードも結構巷にあふれているのも目に付くようになったりして、本当に本当に吉凶は糾える縄の如しだという事例が多いことも実感することができました。

短絡的に損得だけを見ても意味が無いという学びにもなりましたし、凶事が学びの宝庫だとしみじみ感じることもありましたから、凶事があった際に感情的に反応してそれで終わるという行動パターンからも遠ざかることができているような気がしています。

トライとエラーから学ぶ。動きながら考える。体験から学ぶという事でしょうか。

 

ですから、神輿から落ちて?落とされて?ガックリされた方も、「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」からハッと目が覚めたことを喜ぶという選択肢もありますよ。

 

キツイと感じる体験や、ガッカリすることも生きていればありますね。

筋トレが負荷をかけて筋力を育てていくように、キツイと感じる体験や、ガッカリすることも、考えて、深堀して、自分に負荷をかけて精神力や心のチカラを育成して、結果生きづらさから脱却していく方法もあります。

自分の心体を自分で育てるというような感じです。人生の再構築に挑戦できるというイメージもあるかも。

 

まさに今、考えて、深堀して、自分に負荷をかけて精神力や心のチカラを育成する時期になったと捉えて人生第2章?3章?4章?をスタートするような切り替えに利用することもやろうと思えばできますし。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

ハニートラップから学ぶ方はいるのか?

要職の方が、その要職によって搾取される情報をただただ自己保身のみで流出させるというのは想像しやすいけれども、失敗から学ぶというエリートさんは一人でもいるのだろうか?

なんだか居ない気もする。

 

一度「考えられなくなる」「考えるのをやめる」「フワフワっとした無重力感」へ身を置いた方が帰ってこられない、意思を持って帰ってこない方ってどのくらいいらっしゃるだろうか?

心のどこかでずっと願いながら生きていく?

強制的に現実に戻ってくるしか無くなった方は、キツイかもしれないが、それはそれで僥倖な場合もあるとは思うんだけど、ひょっとして「また誰か神輿に担いでくんないかな~」って心のどこかでずっと願いながら生きていくのだろうか?

誰が自分の神輿の担ぎ手になるのかという物色フィルターでしかモノを見なくなるのって心の豊かさとは逆方向ですものね。

その依存心はそれはそれでキツそうだ。

もしそうなら、そのストレスケアは徹底的にした方が今より先を生きていくが楽になると思うし、その根っこは結構奥深くにあるだろうから放置するよりはケアすることを個人的にはお勧めしたい。

ElisaによるPixabayからの画像

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