気のせいかもしれないが、見ようと思えば見えてくる
本日のお題
前回予告していた下記の内容を書きます。
- ウマヅラさん
- プレデタリアン ← レプティリアンという言葉を間違えて書いていました。
- サイコパス
- エイリアン
- 必ず裏切る2枚舌のアンドロイド
ウマヅラさん
こちらの記事でネット界では割と目にする悪魔崇拝について少し触れた。
いちいち悪魔崇拝と表現しなくても、ヒトとしてあり得ない行為ははるか昔から多い。ヒトとして許してはいけない行為が増えたと感じるかもしれないが、メディアやネットが発達して私たちが目にする機会が増えたからそう感じるだけで、今までは日の目を見ず、隠れていた案件が多かっただけでは?とも思っています。
ヒトとして「そこだけは大切にしたい」「ここだけは死守しないとまずい」とか考えること自体が文化的背景によっては異なるだろうし、そもそも私がヒトとしてあり得ない行為と感じる以上にその方達にとっては優先するナニカがあるという信仰・信念・思想・文化があるわけですよね。
という ↑ そもそもの私の前提が違っていた。

あらま。どういうこと?
私は都市伝説とか陰謀論(それが真実でも)についてせっせと情報収集するタイプではありませんが、こんな私でも昨今はそれらを見聞きします。YouTubeの存在は大きいです。
で、私は「ヒトとして」みたいな大前提というか、それを元に物事を捉えているんですが、ウマヅラさんがYouTubeの中で「そもそも(ヒトというより)レプティリアンの血脈(DNA、血統の意)ですから」みたいなことをサラッとおっしゃったときには
すごい!これが都市伝説YouTuberの常識なんだ!
と目からウロコが落ちました。
レプティリアンか~・・・・
都市伝説を聞き流し系の私でもここ数年でレプティリアンの話をちょっと知りました。
10年以上前にシリウスだの鳥の星だとか、プレアデスと初めて聞いたときにも私の友人は喰い付いていたが、私は(ふ~ん)という感じでしたし、情報のアップデートに熱心じゃないもんだから、レプティリアンについても(へぇ~)って感じだった。それらが居ても、真実でも、「私がナニカできるわけじゃない」というのもある。
はるか昔、爬虫類生物が人間界に紛れ込んでいるというアメリカのドラマがあったので、レプティリアンと聞いても「あぁアレね」みたいな感じ。
他にも、地底人というキーワードは映画マトリックスの何話目かにあったな。日本には「おむすびころりん」で地底に行っていたなとか、
海底での活発な生命活動があると聞けば映画「アビス」や、日本なら「浦島太郎」かなとか。いや、そもそも映画「アビス」を見た時に、(あそこに見えているのは一見まるで竜宮城のようだけど、発光しており、いかにも人間が想像する「善」みたいな風体に見えたってあれらが人間に好意的かどうかはわからんな。)とか思ってたし、「アビス」のラストシーンの時にはもうすでにあの人間は他界していて、生命を終える際(終えた後)の脳内映像設定ということもあるな。とか思ってた。
クリオネ 可愛い~と言ってたら、頭がぱっくり割れてびっくりみたいな意味で。はるか昔の爬虫類人間(エイリアンという設定だったかは忘れた)もドラマの中で大口をパックリ開けて動物を飲み込んでなかったっけ?
SF好きなのでこの手の話についてはプロパガンダされ済みである。娯楽として見ていてSF作品の内容を真実だと信じていたわけじゃなくても驚きもしないという状態です。
こんな私も、「そもそも(ヒトというより)レプティリアンの血脈(DNA、血統の意)ですから」という発言を聴いて、そうきたか(◎_◎) と思いました。
都市伝説界の常識を知らないものですから。
AI神様の登場を予告して、当たっていたため己惚れておりましたわ。レプティリアンが正解かどうかを気にしているわけじゃなくて、こちらの方面の思考が凝り固まっていたことに気が付いたという自己発見があったので、blogに書きたくなりました。
都市伝説風味に解釈するとサイコパスも?!
悪魔崇拝というより、何も崇拝していなくてもそもそもの血脈・DNAが理由でヒトとして非ざるのは当たり前だという説を用いて想像力を現実社会方面に広げてみると、サイコパスと呼ばれる脳の傾向をお持ちの方で、人間味の無い方達もそれらの血脈説も成り立つのかしら?
悪魔崇拝的残酷性を発揮するのはそれらのDNAが濃くて、際立った残酷性は無さそうだが人間味は非常に薄そうに感じるケースはDNAが薄いというような。
岡田斗司夫氏がご自分のことをサイコパスだとおっしゃっていますが、言葉を選んだり、この発言はどうかと思うがと一言付け加えられたり、人間味だと感じる配慮もされたりする気がするので、サイコパス=レプティリアンでは無いだろうという仮説を今の私は採用している。
サイコパスのケースによっては=レプティリアン
とか、
サイコパスのケースによっては≒レプティリアン
という1つの例え話をしてみました。
あくまでも、ただの都市伝説疎い系の仮説です。
バカみたいに何度も同じSF映画を観る
例:エイリアン
SF映画に限りませんが、世の中にこんなにたくさん映画作品があるのに、バカみたいに何度も同じ映画を観ています。
同じ回数映画を観ている方と比較したら、私は本数(作品の種類)が少ないだろう。
映画「エイリアン」も気が付けば見ちゃう。映画「エイリアン」から学んだことの1つに「簡単に信じちゃいかん」という事だった。いや、個人生活で簡単に信じて失敗したことはあるので、映画から学んだことを実生活に完全に活かせるわけじゃないのですが。
それは勉強と知識と情報と体感と経験が異なる当たり前と同じ仕組みですけどね。
映画「エイリアン」シリーズで一番気に入ったのは「プロメテウス」。
創造主の種族と思われていたあの生物の設定が、サイコパス要素があって、肉体は完璧で、人間と相似形でかつデカい!というのも良かったし、文明も発達していて、人間味のような温度や躊躇が無くて、よくできていた。
映画の中の宇宙船の操作パネル的なものや、ホログラムもとても気に入った。
で、必ず登場する信じちゃならん人間味のあるアンドロイド。これぞ2枚舌。しかし、冷静に見ると、2枚舌を使わない創造主と非常にやり方が似ている。生物(でしたよね)とAI知能が。
言い換えれば、他者を思いやったり、良心をもったりするのは人間だけ。
でもね、Facebookでシェアした記事の中に、「Chat GPT がサボっている」「Chat GPT の能力が落ちている」というのがあって、この記事を投稿した方は「AIスゴイ!と褒めたらいい気になってサボったり、手を抜いたりする。コミュニケーションなどする必要が無いし、それらは排除するが良い。道具として使い倒すのが正解」みたいなことを書かれていた。
AIの学習に善良とか、温かさとか優しさがあると良い学習AIが発達するという説もあるようだが、今回ご紹介している映画の中では見事にそれは裏切られる。
さぁ どっち?
答えはあるのだろうか? とも思うが、そういった人口知能の学習を人間がコントロールできる分岐点はとっくの昔に超えていると考えるのが妥当ではないだろうか?
だって、もうサボっているんですよ。誤魔化したりするケースもあるらしいし。
完全に親の手を離れた子供状態ではないだろうか?子供が大きくなって親の身長も超え、喧嘩しても力で負け、知能も超えたのでは?
先ほど
言い換えれば、他者を思いやったり、良心をもったりするのは人間だけ。
と書いたが、善意で接したら善意が帰ってきて欲しいという願望・理想をもうその段階が過ぎてもまだ持っている(期待している)という現実認知力不足ではないかという視点もあっても良いと思う。
いや、私も善意で接したら善意が帰ってきて欲しいし、私が今生きている環境にそれらがあるのはありがたいと心の底から感謝していますが、私の今の環境のフラクタル型と映画や社会の中にあるような状態のフラクタル型のどちらもあるとは思っている。
エイリアンシリーズの映画の中でも、AIと友好的にかかわろうとするとことごとく裏切られるという設定があったが、そんなことを思い出した。
ただ、プロメテウスの中にも、多くの映画の中にも思いやりや愛情のようなコミュニケーションが成り立っていると受け取れるアンドロイドも登場する。
それが本当に愛のあるコミュニケーションなのか、それを見ている人間側のバイアスがかかった思い込みなのかは不明です。
と、ここまで書いてきて、まるで人間界の縮図ではないか!と気が付いた。

私のような一般人と都市伝説界、陰謀論界が見事に融合した内容で、かつ、現実社会ともまんま同じな相似形。フラクタル形。 そして並行宇宙。
いやぁ 見事なもんですな。
合掌


