再会
内地・本土から沖縄に戻りました。本日沖縄は晴れております。
国内も海外も水害が起こっています。皆様の安全と速やかな回復を祈っています。
山
山へ行きました。信仰の聖地でもあるその場所にタイトルにあった「気づきは悟り」と書いてありました。
ならば、悟り悟りと特別視する必要無いってこと?と感じましたよ。
信仰を伝える側がおっしゃっているんだから、我流の悟り信仰者のおっしゃるそれらしいこととは違いますね。私は何度も書いていますが、非常に人生が苦しいと感じていた時は(悟ったら楽になるのだろうか?)と救いのようなものの対象として考えていましたが、その後、「生きている間に悟れない。それで良し」とすっぱり執着するのをやめました。
正解は知らないが、目的と手段のズレがあると一旦判断した。
で、その後もそれなりに長いのですが、自分なりにいろいろ気づく・考えるということは継続していますので、悟りを求めようが、求めなかろうが、「気づきは悟り」的にはOKみたいですね。
気づかない方が良いことや、知らない方が良いこともあると思いますが、悟りとは良いとか悪いとかそういった判断をする対象ではなく、意味づけも裏の意味も精神性だの波動だのを条件にせず、難しい解説を取り入れずにシンプルな現象・反応と理解したらいいんだという余地を感じた。

友と再会
友人達と会いました。それぞれ共に数年ぶりです。
知らなかったことを教えてもらったり、お互いの考えを話したりしました。私は占い師ではありませんが、社会の中にある自分の見聞き・体験の統計・相似形による未来予測が割と現実になることがありますが、嬉しい予測も悲しい予測も有るわけです。嬉しい予測が現実になれば嬉しいし、残念な予測が現実になれば切ないです。
予測ができるということは回避できる確率もちゃんとあるのですが・・・それら一切合切が個人でコントロールできる、できないということも含めて切なさを感じることが今までもありましたし、これからも同じくあると感じています。
友人と価値観や体験や感じる事がすべて一致するわけはないのですが、私にとっては有難い会話でした。一緒にした食事もお茶タイムもあっという間に感じる時間でした。
買い物に付き合ってもらった
大阪の有名な「せんびる」の名前は、最初ナジャ・グランディーバさんからその名前を知りました。その次にはYouTuberの富士千代さんから聞いて、布地だけじゃなくて服飾・着物を売っている繊維ビル、問屋ビルだと理解した。
布地好きなので、帰省して行けるチャンスがある時は名古屋の大塚屋に行く。何時間いても飽きないが疲れはする。で、初めての「せんびる」に布地を見に絶対に行きたい!と友人にリクエストして同行してもらった。独りで行ったら見たい商品に出会えなかったかもしれない。建物が広いし複雑だから。
そしたらば、私が独りで行っても絶対に目に入らなかった超好みの布地を友人が見つけてくれて購入。好みが似ていたのも助かった!
目的達成😊。大満足です。ありがとうございました!!!
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友の訃報
つい数日前に訃報を聞きました。伝えてくれた友には感謝しています。
最後に会ったのはコロナ前の数年前でした。私は元々マメに連絡を取り合う友がいないのですが、他界した友が有難いことに年に一度私の誕生日にメッセージを送ってくれていたので彼女とは最低年に一度はやり取りがありました。沖縄に旅に来てくれたこともありました。それも今後はありません。
私個人はいつもいつも今日現在健康に生きているのは奇跡だとその壮大な有難さに感謝の念を持っています。現在の状態は当たり前じゃないということには結構前に気が付きました。
得てして目先の出来事に気を取られがちですが、今まで普通に生活できているのは大幸運だと思っています。もちろんそうなるように心がけて行動しているつもりではいますが、心がけや行動が実を結ばないことも世の中にはあるんで。
当然今も目先の出来事に反応もしますし、感情も動きますが、そのバックグラウンドの大幸運に気づいているので、そういったストレスへの執着が薄くなりました。
友に心からのお悔やみ申し上げます。ひたすら願ったのは、最後が苦しくなかったことを後からになりましたが祈りました。
天国で笑っていますように。

🆓 Use at your Ease 👌🏼によるPixabayからの画像
良いと信じるけれど、実は反対の作用もあるスピの影響
私が個人的に今感じる幸せと言うのは、以前あったような苦しみや辛さが無いに等しく、当たり前が穏やかだからです。引き算の幸せ感でしょうか? 生きていればナニカはありますし、逆風も吹きますが、歳を重ねるごとに楽になってる。
今は、です。将来はわからない。
過度に思想を取り入れたり、スピに走ったりせず、どこかの誰かが編集した教えを信じ過ぎたりするのをやめて、現実を生きることを選んで、そこで認識できるストレスケアを研究して対処してきて良かったと心底自分の選択に感謝しています。実はこの選択ができたことが自分の意志だというのが勘違いで、ただの幸運だった可能性だってある。
以前のblogに、カジュアルなスピに走ると現実を軽く見たり、カジュアルなスピにいる方が優れているという妙な選民意識が育ったり、現実に対処できなくなったり、現実認識ができなくなったり、ストレートに認識したら良い現実に歪んだ解釈を持ち込んだり、本質をすり替えたり、しなくて良い遠回り(解釈)を持ち込んだりが増えるような傾向は無いだろうか? と書いた。
ストレートに認識したら良い現実の理解にメッセージカードを用いて解釈して答えとするようなことも、一旦離れて冷静に見てみると
???
という疑問がわいたりしないだろうか? 私は湧いたんだけど。
こりゃ 一種の依存だなって感覚を感じたから。
そればっかり行っていると、現実認識して考えるという(カードを引くという行為とは異なる)自発的な行為ができなくなるケースもあるような気がしている。
コレが厄介なことに元に戻ることが物凄くハードルが高くなることがあるというケーススタディを自社調べでしかありませんがそれなりの母数を見聞きしました。
一旦これらを「抜く」ことが最良対処法かと思いますが、カジュアルなスピを抜くことが怖くなるんですよね。依存ですから。頼り先を失う恐怖でしょうね。
それでもそれに浸ったまま一生を生き抜けるのなら幸せです。
途中で成り立たなくなった時が怖いんですよね。本来のスピリチュアルではなくてカジュアルなスピの特徴だと思います。
私もカジュアルなスピや思想に興味をもって、その世界にしばらく滞在したこともありましたが、「抜く」ことへの抵抗感に自分で気が付きましたので(これは健康的じゃないんだな。これは依存だな。)と判断したんですよね。
抜くことへの抵抗感、抜けない事にもなりかねない怖さ、ということに気が付かなかったら今もその世界にいると思う。
本日のタイトルにかけるなら、カジュアルなスピの(私個人に影響する)罠に気が付いた。

Albrecht FietzによるPixabayからの画像
ということは、それを悟ったということになるでしょうか?
いろんな人生や生き方の好みがあるから、それが依存でもご本人が幸せだから手放さないのかもしれないし、困ることが無ければ変化しなくたっていいかもしれない。
依存があってもなくても、孤独というものは付き物かもしれないしね。悟ろうが、悟らまいが幸せ感はヒトそれぞれですし。今の私が悟りばかりに価値を見出すことも無いと思うのは、日常生活の大幸運に大価値があると思うからです。
でも、日常生活という大幸運に大価値があることにピンと来ないから悟りを過大評価するのかもしれないです。はるか昔の私はそうでした。
気づきが悟りなら、日常生活を丁寧に生きていれば自ずと悟る。とも言い換えられるような気持になりました。
旅先でも毎日が人生初めてのことの連続で、沖縄に戻っても人生初めてのことがありました。なんなら時計が1秒ずつ進むその状態(未来が現実になっている)も人生初めてですから。
予想や期待が外れる事なんて当たり前なんですよね。そのおかげでラッキーが起きたり、自分を知ったり、思い込みに気付いて それこそ悟れたりってことがあるんだろうと思った今日でした。
今回の本土滞在中、行く前はすべての日程で100%雨予報でしたが、実際は割と降りませんでした。助かりました。しかし雨が本降りになった時に素晴らしい風情を感じたので動画を撮ったものを数名にお見せしたら全員から大好評でした。
晴れも良し、曇りも良し、雨も良し、安全に旅ができることが何より大幸運でした。理想通りの展開じゃなくたってただただありがたいです。

copilotで画像作成 心体カウンセラー 武田美紀


