潜在意識を考えてみた その4 一層の減らず口

バランス調整・ストレスケア

減らず口 + 思考

反応の元を考える

減らず口を言う時のその反応の元はいろいろあるみたい。

感情的な反応を正当化したい場合も多い。感情っていろいろあるから。

 

そして、感情的な反応で終わるのか、自分のその反応の奥を探ろうとするのか、反応したことすら忘れるのかでその先は分かれていくように思う。

 

そういう意味では、自分に素直というか、ありのままの自分を見る効果というのはこういうところでも生きてくるんだと感じる。

で、相も変わらず今日も私の減らず口 探求心について書く。

isuzu1202によるPixabayからの画像

法則とは、テクニックを教えてもらうものなのか?

都市伝説などで、実は重力も地球上とは言えいつでもどこでも働いているわけじゃない。というような話を聞いたような聞いていないような感じですが、これについては脇に置かしてもらいます。この脇への置き方は、人間じゃないものが人間社会に混ざっているという説を重要視して多様性について話をする際に「いや、でも、ヒトならざる者のことも考えないと不平等です」と重要視する必要は(今はまだ?)ないでしょ?という意味です。

特殊な例を持ち出して反論したい方はご自由に。

 

万有引力の法則

他に法則の例はないのか?というご意見の方がいますか?

フレミングの左手の法則でもいいですよ。

 

「法則とは?」についてのネットの回答は「いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」とあった。

 

ですから、万有引力の法則も、フレミング左手の法則でも、その法則の計算式というか、説明はイマイチわからなくても、いつもあるし、使おうとしなくてもそれらはすでに生活に活用されているし、条件は変わらない。

  • 当たり前。
  • 深堀しなくても法則を使っている、使える。
  • わかろうとしなくてもわかってる。

 

こういうのって、自国の言語習得と似ているでしょうか?

言語の質にこだわればテクニックについて学ぶのが必要だろうけど、言語自体は使うことにテクニック云々とは言われない。

 

ところが、引き寄せの法則やほかの思想系の法則は「いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」という法則の定義が曖昧に感じる。曖昧過ぎるから「引き寄せの法則を学ぶ」みたいなセミナーな講座に多くの参加者がいるし、情報を得たがる。その曖昧さにビジネスが成り立つ空白がある。

法則なら情報を得ようとせずとも知っていたり、当たり前に身の回りにある。コツやテクニック云々の話じゃない。

 

そして、「引き寄せの法則を学ぶ」みたいなセミナー講座の講師側も、情報発信する側もその確率は100%なの? 叶ったこともあったし、叶わないこともあったならそれは法則じゃない。

いや、「叶うことも、叶わないこともある法則」と言って欲しいもんだ。

Stefan SchweihoferによるPixabayからの画像

「説」じゃね?

じゃあ、「引き寄せの」として伝えればいいし、引き寄せの確率を上げるためには?という伝え方をしたらいい。

そこで初めて、引き寄せの確率が上がらないのは、

  1. そもそもの「説」が間違っている
  2. 伝える側の力量不足
  3. 伝えられる側の理解不足

これらのコンビネーションか? という視点ができる。

そうしたら固執して「妙な沼」に入らず、その説による引き寄せられない理由を冷静に分析できそうだ。

法則ではなくて「説」として。

「周波数」「波動」と決めつけるのは好きじゃないが

ただの好みの問題なのですが、この好みが出来上がってきたのにも一応理由があって、それらしいことは既に書きました。

潜在意識を考えてみた その2 – 武田美紀のブログ

 

共鳴の法則

世の中にすでにありそうなネーミングですね。

でも、共鳴の法則なら(それは法則だね)と受け入れやすい。共鳴というか、「影響の法則」と表現した方が正しく伝わりそうだ。

 

目の前にあること以外にも影響の元は無限にあるし、影響の大きさ小ささなどもどうであれ法則に反しない。引き寄せるぞ!という思想や感情や欲望や観念とはまた別で、影響しあっている今、自分、環境がただ「在る」という現実認識、認知となる。

なんなら、引き寄せたい!という自分の影響だって含むことができる。

 

遡れば、

  • 当たり前。
  • 深堀しなくても法則を使っている、使える。
  • わかろうとしなくてもわかってる。

ということにも沿っている。

 

こんなことを書く自分が天才かと思うが、当たり前のことを書いているに過ぎない。(笑)

(うまいこと書くな~ うまいこと説明したな~)と悦に入ったわ。www

 

ということは、「欲」か

いろいろ書いてきて、とどのつまり違いは「欲」か。と思うと、引き寄せの法則とは「欲」を刺激する法則であると言える。

 

ある種の「幸せ感」って欲とかが「無」になり、「ただ在る」ときに感じたりするものだけど、引き寄せの法則をテクニック重視と認識している間はこの境地にはならないのかもしれない。

良くも悪くもないが、引き寄せの法則によって手に入れました!という幸せ感は条件が重視されるケースが多いので、欲とかが「無」になり、「ただ在る」ときに感じたりするものとは違う幸せ感なのかもしれないね。

別にご本人が幸せなら甲も乙もない。

 

ただ、私が(あぁ 幸せ)と感じる時に、私自身がいま幸せを感じられる周波数に合わせることができている。という表現もできるんだろうと思えた。

それは何かしらのテクニックではなくて、「ただ在る」ときに感じるような認識がある。

私はその状態に感謝するのみで、それによって他の(次なる)2次的な何かを得ようとはしないが、そもそもその2次的な何かを得ようとするのが引き寄せの法則なのかもしれないとも今気が付いた。

 

他の(次なる)2次的な何かを得ようする際に「波動が」とか「周波数が」という言葉、思想を使うようだけど、こういった一面に気が付くと、「Good feeling、幸せに『在る』という状態」を2次的に使うというテクニックに波動や周波数という思想?観念?を使うのなら、その根っこは「欲望」となり、Good feeling、幸せの伝播ではなくて、欲望の伝播となる。なんて説明もできませんかね?

S KによるPixabayからの画像

自分の機嫌を取っておけばよい

Good feeling、幸せの伝播ではなくて、欲望の伝播となる。なんて説明ができるのなら、引き寄せのことなど考えずに、期待せずに、ただ機嫌よくいたらいいはずだ。

「ヒトや物事、環境に影響を受ける法則」の中、様々な出来事がある中、無い中、自分の機嫌を取っておく、その状態をKEEPしておくことこそがその原理になるだろうと思うんだけど、

それができたって起こることは起こるし、嫌だなぁって思うことにも遭遇するだろう。だって「影響の法則」の中に生きているんだから。

Facebookに流れてきた投稿の画像

そこでだ、オワコン化しているFacebookに下のような画像投稿が流れてきたのでシェアさせていただきます。

 

あぁいいなぁ と思ったのは引き寄せの法則云々ではなくて、主語が「引き寄せる人」となっていたところです。引き寄せるぞ!という「欲」のクローズアップじゃなくて、なんだか健康的な感じがした。

Facebookで流れていた画像です

引き寄せるヒト

いや、欲があるのが人間の健康的なデフォルトなのですが、軸足の置き方が健康的な感じがした。私個人は、欲を失くすことが人生の目的じゃないし、欲にも健康的な欲も不健康な欲もありそうだし、生きる活力を生む欲もあると思っている。

 

そして、共鳴の法則的、影響の法則的にも、画像の中のこういう「ヒト」が共鳴する、影響する状態とはなんだか良さげな感じがしませんか?

 

テクニックに走るんじゃなくて、生き方、人間性ありき。って感じがして。

 

綺麗ごとかもしれないけど。

VIJAYBBN MACWANによるPixabayからの画像

 

上手く書けた、上手く説明できたような気がして悦に入るときに限って読み返すとわけが分からないケースってあるんですよ。

今回はどうだろう?

 

伝わるように書けていると良いけど。

 

メリークリスマス! 2025年

Eak K.によるPixabayからの画像

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