タイトル そのままの動画
ご参考に
私がこちらの先生を知ったのはつい最近でして、数回前のblogに登場したあたりに知りました。
私に「生まれてきて良かった」という感覚が我が身の内側にある日あった(◎_◎)という奇跡が起こったのは数年前だったと記憶しておりますが、こちらの先生も「生まれてきて良かった」という感覚に意味があるとおっしゃっていた動画を2026年6月に視聴したときに(なるほど)と思った。それぞれのルートで同じ結果に至るというとても良い例だと思っています。
こちらの動画によりますと、「実存主義」だという解説でしたね。
私の場合は、たいていの場合は専門用語、名称は後から知りますので、blogもコラムも実感、感覚、思考展開を元に文章を書いてきています。
ちなみに、マインドフルネスも日本の中に流通する際に、語り手側が自己流味付けするケースがあるんじゃない?というところが気になってしまったのでマインドフルネスとは?ということは深く勉強しておりません。しかし、昔書いたのですが、自分がやっていたことがマインドフルネスというものと似通った部分があったという情報は得たことがありましたので、ほんとルートは様々だなぁって思う。
日本風のヒーリング 癒しという概念
で、やはりしみじみ思うのは、癒し、ヒーリングメインでアイテムを使用したり、メッセージを解釈したり、思想、信仰、占いなどを採用するのと、それらをあえて利用せず(排除)し結果として「生まれてきて良かった」いうこの2つを当たり前に同一線上の延長にあるという固定概念こそが回復を遅らせるケースがあるんだろうなぁって考えたりしましたね。これらが延長線上にあるケースもあるかもしれないが、私個人が自分だけの体験・体感で文章を書くならば「癒し」という思想の取り扱いってセルフ煙幕になる可能性があるけれど、どの程度の回復を見込みたいかによってそれも有りなのだろうと思っています。
セルフ煙幕
自分で書いておきながら、「セルフ煙幕」と表現したこれはなんだろう?と考えてみたんですよ。そしたら、こちらのblogに書いた
こういったことをよくよく考えていくと、単純なことが見えなくなるトリックかマジックにかかっている気すらする。
というところと、これもまた私が度々書く「誰かの自己流味付け」が友達だったことが分かった。
簡単に書くと「自分以外の思想」「自分以外の考え方」を正解だと思い込む、それを基準と決める、それが正しいというルールに従う、盲信する、疑わない というようなイメージでしょうか。
これも依存?
一方的な語りの動画でも、実際にお会いして会話しても表現するのが難しいから、読み手を特定していない文章にするのはもっと難しいのですが、あえて書くのなら「癒し」という行為に依存することもあるような気がしています。だから、ただ、深く治癒されることをお望みなら「癒し」というようなものが必須だという考え方を一旦お休みして、「認知行動療法」という手段だけでしばらくやってみる。アイテムを手放す。メッセージを必要とせず自分で考える。ヒントをメッセージで得ようと依存しない。なんて取り組みもお勧めしたい。
が、それは深くからの回復、世界を変えたい級の訴求感をお持ちの方なら言われなくても既にやっているかもしれないし、手段がわからなくてお困りの方で「なんだそーゆーこと?それやれば良いかもしれないなら一丁やるよ、簡単だよ」と光明となるかもしれない。
でもこれは、
- 属したいグループがあるとか、
- 現実的な損得があり属性から抜けたくないとか、
- 一旦価値観をフラットにするのがイヤ
という優先順位がある方は「やりたくない」ことだろうとお察しします。それはそれ、人生の選択肢は様々なのでご自分が判断して選ぶことだと思う。
私が書いているのは、すべての人間にMUSTだという話じゃなくて、自分の体験談、体感と精神科医の益田Dr.の共通点と益田Dr.の解説と、私個人の推察でしかない。
治癒のために依存させる
私個人は、「悩み、苦しみ、依存症からの回復のために相談者を依存させる」という選択肢は無い。相談業として自分のファンや固定客欲しさにそれをやる意味も価値も見出せない。理由は、それで回復する実例を見たことがないから。
依存させてくれないからと言って離れていかれる方がいるならそれで良いと思っている。冷たい人だと思われてもしょうがない。なぜなら双方に良いことがないから。
それは私が機能不全家庭でヤングケアラ―をやったり、回復過程で依存関係で苦労したりしたので、「悩み、苦しみ、依存症からの回復のために相談者を依存させる」という選択肢の不可能ぶりが身に染みているのと、世の中を見ても、「悩み、苦しみ、依存症からの回復のために相談者を依存させる」つもりの側(つまり優位に立っているつもりの側)がその後飲み込まれて逆転現象というか、相談業ってサポートのはずだから主従関係ではないはずなのに多くの場合現れる主従関係みたいなものが逆転というか、を例外なく見てきたのと、他者を操作する(できるつもりの)悪癖が自己のとても大切なものを汚すというか、侵食してしまうような気もしている。
以前にも書いている「死守したいもの」という意味で。

脳のバグ copilotで画像作成 心体カウンセラー
もともと依存の強い場合、他者を操作することに長けているケースが多いので、それに太刀打ちできるという驕りは足を救う。依存の強い場合、他者を操作することに長けているケースが多いということを知らないのは勉強不足か、危機管理能力の欠けか、それまで幸せだったか、自分に相当な自信をお持ちか、性善説を過信し過ぎかもしれない。
私の場合は、そんな神様みたいなことは私にはできないときっちり線引きすること決めている。簡単に言うと、私は神様ではなくただの凡夫なので、そういうことをした結果の自己のエゴ肥大を避けたい。
それができると思った側、実際にやった側がなになら厄介なブーメランを受け取っているような気がするのは私の妄想だろうか?

コントロールできると思っている理由?
自分を大切に扱う=他人を大切に扱う みたいな思想ありますでしょ? あれの例だと想像してもらっていい。
多かれ少なかれ、相手を依存させてコントロールできると思っている側はその相手より自分が上だと自覚している。それが双方の癖と良いマッチングをしていてwin×winならそれでいい。双方の幸せだから。
私はそれを幸せだと感じる相手とまだ出会っていないか、それをいつまでも愛だと勘違いできない悲しい性分なのか、そもそもそういった関係性を好まないか 他にもあるかもしれないが、今日現在の自己認識としては依存させてコントロールしたくもないし、されたくもない。
損得で言えば、損だと感じるから。なにより、健康的な感じがしない。
自分にとって損だし、私にとって損なら相手にだっていつかは損になる。 “lose-lose”
そこに幸せはあるだろうか?
そこに幸せはあるだろうか?
生きてきて良かった。はあるだろうか? ←良心を持たない場合はあるね、きっと。他者は自分を幸せにする駒(コマ)にしかすぎないならあるだろうね。

スピ撲滅!とYouTube発信されているYouTuberさんがいるのですが、その方がおっしゃっていたのは「2025年7月5日以外にも地震だ火事だ災害だと予言しているA氏、B氏、C氏いろいろいるが、皆それが起こることを期待しているクソだ」でした。「予言があたることを期待してる」災害などが起こって「流石当たりましたね!」と言われたいと。
それを聞いて、(なるほど)と思ったし(確かにそうかも)と頭に浮かぶYouTuberさんもいた。
それらをせっせと見ていない私ですら頭に浮かぶYouTuberさんがいるから、そういうジャンルが好きな方には何名の方が浮かぶのでしょうか?
本文と全然関係ない話題なのに、「そこに幸せはあるだろうか?」と書いたらこの話も書きたくなっちゃった。
これが人間界。これぞ人間界。
そして私もイチ人間。


