正解は無いだろう
正解ではなく、思い込みと好み
潜在意識と顕在意識
こちらで、ビジネススキームとか集客という話に触れた。
そののち、ふと、潜在意識至上主義ですべてOKで、自動運転に任せていたら望みが叶うのなら、集客に悩むことも、売り上げを気にすることも、そもそもお金について考える必要もないはずだなぁと思った。
必要が無いというよりも、そもそもそれを欲しないはずなんですよね。理屈では。

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一例を考察
それは潜在意識と顕在意識のどっちの話?
お金という概念と仕組みは人間が創ったものですが、上に貼ったリンク先でのビジネススキームとか集客の話を個々に関連付けさせるのなら、潜在意識至上ならば潜在意識を利用して集客しようと願うことは王道でしょうが、となると集客の目的が情報の提供のみで、対価を求めなくても良いはずで、無償ボランティアで充分なはずですね。
しかし、本当の目的が「セールス、売り上げ」による金銭の取得ならば、潜在意識へのお願いの仕方は「お金」ですね。
ということは、主な場所は「お金という概念と仕組み」の中で生きているが故の価値観なわけなので取り扱うのは「顕在意識」が適している可能性が高くなる。

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シンプルな要素まで分解していく 例:「認知」
私が度々、シンプルな要素まで分解していく。という意味のことを書いているのはこういったことも勿論含んでいますが、もしこれが顕在意識の割合が高いのなら「認知」の話を取り上げていく(取り扱う)ほうが理にかなっているし、「認知と行動」という話になります。
認知行動療法という「療法」の分野に含めなくたっていい。
で、ビジネススキームとか集客の話や他の現実的な話について、
・自分が本当に求めているのはナニカ? という認知とか、
・そのための一手は? または次なる一手は? という行動面の話になるわけですよ。
だから、潜在意識を売りにする分野の「集客作業(テクニック)」というのは冷静に考えたら矛盾というか、おかしなことになっているんだなぁ と思い付きました。(笑)
冷静に見ると、潜在意識の話じゃなくて、顕在意識の領域の話な気がしてしょうがありません。

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そして、私は10年以上前に潜在意識という概念、思想を知った後も考える癖がついていたためか「潜在意識至上」にはならなかったので、長年開催していたキネシオロジー体験講座でお伝えする際にもブログに書く際にも「潜在意識と顕在意識は両輪の輪」と申し上げてきました。
今更ながら、なかなか良いこと言ってたな、と安心しました。
順番を変える
潜在意識からひょっこり上がってくるというイメージもわかります。潜在意識が奥にある的なイメージですよね。わかります。私もそう捉えてたし、脳の構造上新しい脳が表層にうっすらあって、本能は奥にありますでしょ? ただ、その視覚的な情報が=(イコール)意識の場所の話だというのが正解かどうか決めるのはまだ早い気が今はしています。
潜在意識と顕在意識は「陰陽論」として分類されたりする場合は、場所が表面とか奥とか無いでしょ? 別の例を挙げると、ユニバース、4次元、5次元ということではなくて、マルチバース、多次元というイメージに「同列」「同時進行」みたいなイメージで表面とか奥とかないのと似た感覚です。それは陰陽のバランスなんだという位置づけでもあるわけです。
だから、顕在意識上のストレスを認知してケアする際に、神経(身体)の反応を確認することを「潜在意識の反応を見ている」とするならば、顕在意識が先、潜在意識を後に利用しているわけですよね? 顕在意識の認知の仕方に「自己研究」「自己認知」風味を増せば、そのストレスケアに利用される潜在意識の範囲も広がるというお得もついてくるような気がしています。

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今回の例に「金銭」を挙げましたので余談
セッション料金を潜在意識で決めるというお話もよく聞きますが、ひょっとしたら反応しているは顕在意識であり、自分がいくらにしたいか?というだけなんじゃない? なんて仮説を立ててもいいかもな~って思いました。
潜在意識で決めたというと、他責というか、正当性があるような雰囲気がありますが、それに賛同・納得する方がいても勿論いいわけですから、良し悪しを言いたいわけじゃありません。
今日のブログの見出しの「正解は無いだろう」「正解ではなく、思い込みと好み」を思い出していただきたい。
もう少し詳しく
お金という概念と仕組みは人間が創ったものですし、それを集客スキームによる売り上げという根本にしていたら、ターゲット層とか、売れやすい価格設定とか、ビジネス目線のいろいろなテクニックを鑑みて顕在意識(戦略と表現するんでしょうか?)で料金を決めるということが、人間が創った概念には則しているような気もします。
選ぶのは利用者なので。
私は潜在意識と顕在意識の概念や働きについて考察しているだけなので、実際の現場では各自が責任を負いますのでご自身が納得のいくようにお願いします。

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認知がツライ
認知がツライ時もあります。
そのツラサこそ、ストレスケアの存在を知っていると、カウンセラー、セラピスト、施術その他利用したり、セルフケアを知っていればお手当できますからね。痛みのお手当方法を知っているというのは強みであり安心感だと思う。
A. 認知がツラそうだから見ないようにする。ということも生き抜く術です。
B. 認知はツライけれども先延ばしにするより自己認知、自己研究を先に進めることを選択するのも実は生き抜く術なんですよね。
10年後 AとBはどうなっているでしょうか? 20年後は? 違いが現れるのでしょうか? ということを考えるのも人生だし、選択の自由があるわけですね。
個人的な例
私はストレスケアという方法を知らなかったので、それを知る前に自己研究、自己認知、人間がもつパターンなどに意識を向けて確かにしんどかった。ケアすることができなかったから。そもそもそういう概念が無かった。
しかし、自己認知、人間研究をしたらひょっとしたら将来(死ぬまでには)楽になれるかもしれない。という楽になる保証も当てもないのに一縷の望みにかけるしか方法を知らなかった。放棄をすることもできなくてこちらにBETした。
だから、ケアする方法を知った後は2馬力、3馬力、100馬力くらいの気持ちになりました(笑) 結果、今はそれらについてはなんもシンドクないし、びっくりする位楽になり、もがいていた時には想像すらできなかった世界観(体感)と変化に感謝しています。
だから、今日現在は賭けに勝ってると言える。(将来はわからない。)

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アセンション
謎に流行ったアセンションという思想がありましたよね。
あの時期に、「こういった流行りの思想に影響される(信じる)と、後から自分がキツクなるときがある。」と言わなくても良いことを書き、(あいつ うるせー)と嫌われた自覚がありますが、私はあの流行のその後もなんとなく意識していました。あの謎のブームのその後はどう決着するのか?それとも決着とかなくただ消滅するのか?とか。
確か、この謎ブームの後にコロナが来ました。
まぁ 確かにコロナが何かしらの線引きになった事象が世界的にありました。観光業・飲食業が厳しいとか、あの時期レンタルルームが無くなったとか、ネット社会がもっと広がって、出版業もより厳しくなったようですし、私たちのような相談業も影響を受けた方は多いかもしれませんし、スクールビジネス系・各種講座も同じのようです。
それまでと、あの後の「当たり前」が大きく変わったりしました。
コロナの症状やワクチンであれ以来体調不良の方もいらっしゃいますから、迂闊に謎ブームの話などあの頃のテンションで言えませんでしょ?
生活がガラッと変わった方も多いわけですから。良い方に変わっていればいいですが、しばらくキツかった方もいらっしゃるだろうし、あの時期に心の平穏が刺激されて不安が掻き立てられた方もいらしゃいました。
私は世界的なコロナ騒ぎが起こることなど知る由もなく、経験的(My統計的)に「こういった流行りの思想に影響される(信じる)と、後から自分がキツクなるときがある。」という可能性について書いたに過ぎませんが、あの時期の謎ブームを信じた皆様もスルーした皆様もあの後平和で安心して生活されていることを願います。
アセンションブームを振り返って書いてみました。
もし本当にそれがおこったのなら、次元上昇でどんな良いことがどこで、誰にあったのだろうか?

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私の願望と潜在意識
潜在意識にお願いしたらなんでも叶う。と聞けば、そりゃあ欲望炸裂でいろいろやりました。
やってますよ、私も。
やったうえで、そこを通過して、体験して、で、今現在の価値観になっています。(将来はわからない。)
- アファメーション
- アファメーションの言葉使いとか誰かが創ったルールも気にしてみた
- ブレインマップも描いた(思考の整理にも使ったし、夢についても使った)
- ノートに書きまくった
- イラストも描いた
- 唱えた(笑)
- 瞑想
- パワースポットに行く
大抵のことはやりました。
で、今日現在わかったことは、上の ↑ に願望として書いてきたのはほとんど「条件」だった。
”ブレインマップも描いた(思考の整理にも使ったし、夢についても使った)”と書いたが、こうやって夢についても図式化というか、整理しますと、自分で描いたものが条件のオンパレードだと気が付きやすかったのも非常に良かった。無駄になってないよねぇ。
実感としてわかってきたことは、幸福感と「条件」は別物だったこと。だから一切をやめた。一切をやめても変化が無いどころか、余計なことを考えなくなったためシンプルになって幸福感が増した。
想像上の「幸せ」を願うがあまり幸せから遠ざかっていたということもその時はわかりませんからね。こちとら良いって聞けば真面目にやっちゃってたんで。
知らないってこういうことですよね。我が身をもって一例を学習し、体験しました。
だから、こういったことも順番をかえてみるのも良いのかもしれません。
条件が整っても漏れなく幸福感がついてくるわけじゃない。(例:超絶売れっ子で高収入の芸能人も永遠に売れる保証がないから不安がついてまわるようだ。有名人も恋愛で悩んだり)
幸福感があると条件にあまり影響されないが、条件が気に入ると一層幸福感が増す。いや、気に入る条件が後からついてくるのかもしれない。
これはかなりありがたいことですね。

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像
次回は「お願い事」について書きます。
