その世界では常識
しかし、初めて名称を知った私
フラワーオブライフという名前があることをつい最近知った平面図形になにやら意味があるという事を知ったのは10年近く前かそのあたりだと思います。それらの図形は見たことがあっても図形パターンの1つとしか認識しておらず名前や意味があることを知らなかった。
ほんと知らないことは知らないもので、数年前、ホワイトハウスに招待されてナオキマンすごい!という記事を見て(誰これ?)と思うほどこの世界に疎い。AKBもわからないのと同じ。そして今もほぼ活動を拝見することがない。
で、話を進めますと
ザックリ10年前のある日、ずっと会社員をやっていた私が相談業をやっていることを知ったスピ好きな知人がその平面図形を持ってきた。他には、それなりに有名なヒーリングを超絶薦められた。ひょっとして勧誘か、営業だったかもしれないがそれにもピンとこなかったのでお話だけ伺った。
というのも、そのヒーリング的には最高の位置?だったか正解はわからないが、そこではこんな風景が広がっているというようなお話だったが、そういった風景を脳内展開するのは私にとって得意なので瞬時にイメージできたんですよね。それが最高の位置(なんというか、居場所?到達点?)なら既に脳内では居る(行ける?)わけで、これに喰いつく根拠がなく、これの素晴らしさの意味がよくわからないみたいな感じだったんだと思う。
私は脳内処理がゆっくりで、その場ではまだ「無」だったから自分の体感を相手に伝えることも無かったんだけど。

Susanne NicolinによるPixabayからの画像
想像力なのかな
後日、この時の体験談をまた別の知人に話した際に、その方が「そのヒーリングの最高の位置?」をイメージするのに苦労していたのを目の前で見たので、脳内イメージ作成の得意不得意ということを体験を通じてまたまた学んだ。
こういった体感・経験は相談業の際にも非常に役立ちますから。
想像力って人生を創る際に(創れると仮定するなら)結構影響するかもねぇとこれを書いている今 想像力の役割の一部 を過去イチ理解できた気がした。
自分の人生を創る、創れないじゃなくても、
- 相手を思いやる
- 相手の気持ちを想像する
- 今の選択のその先を想像する
- 今の選択のその先のいろんなパターンを想像する
等とも関係するでしょうが、脳の傾向によって苦手なんですよね。
その傾向により本人に何の悪気が無くても、人間関係で時々揉めたりします。
私も今よりずっと若い頃は真性山猿で、相手のことを思いやるより自分の考えたことや興味のあることに熱量が大きく使われていましたから、人間社会、コミュニケーションって上手くいかないのも当たり前かと思います。
だからと言って、空気を読み過ぎて人生疲れている方もいらっしゃるのでバランスって難しいですね。私も山猿から空気を読むようになった時期もありましたが、疲れることもありましたね。
人生のお供にストレスケアをご活用くださいね。
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話を元に戻してフラワーオブライフ
平面図形のフラワーオブライフという名前を知らない私は、先述の知人が持参してきたアレを(鍋敷き?)と連想する位無知だった。
スピ界?なに界?のことはあまり知らないというのは本当で、せいぜいこの程度です。なのに私が時々スピ界の住人だと思われるのはご報告する体感や体験がそれに含まれるらしいからです。
で、こんな体験が上書きされることなくざっくり10年経ちまして、YouTubeを見るようになり、またまたYouTuberのミルクティー飲みたい氏のコンテンツでフラワーオブライフという図形が
立体
だという解説を見て ナニ!? と初めて興味がわいた。

なんでもご存知な大先輩
この手の話題についてなんでもご存知な大先輩に
平面図形にはフラワーオブライフという名前があり、なんと立体でした!
とご報告したら、先輩はもちろんご存知で、東京で開催済の「神聖幾何学展」について教えて下さいました。ほんと何でもご存知。脳の仕組みと出来が全然違う。加えて全然威張らない。
知識や情報があるとヒトが変わっていくケースは特にスピ界や都市伝説界では散見するような気がしますが、大先輩はいつも穏やかで淡々とされているのも尊敬している。
そして、ミルクティー飲みたい氏の動画を大先輩にシェアしました。
何年も前から自宅にあるフラワーオブライフ?
へぇ~立体か~と思ったらちょっと興味が出てきたんだけど、そこで初めて気が付いた。最近使い始めた私のマウスパットは刺し子の柄だった。
【素朴でかわいい!】刺し子に挑戦しよう | クラフト日和 | 家庭用ミシン | ブラザー
あれ?これってフラワーオブライフ柄?と自分の手元を眺めましたよ。(笑)
刺し子柄なら大好きだ。好きだからマウスパッドにしてる。

そう、これもフラクタルだそうで、確かにそうよね。
で、どうなん?
世の中にストレステストがOFFがONになるものは無限にある。
だからONになることだけを驚くほど特別視することも無いと思っています。イメージを脳内でちょっと変えるだけでもOFFはONになるし、アイテムを一切使わなくても呼吸1回でOFFはONになる。
それと並行してアイテムも無限にある。
が、人生がラクになりたいというときに、その瞬間OFFがONになれば良いわけじゃないと思うんですよね。大雑把に書くとONの定着か、OFFに影響を受けない心と身体作りかと思うんですが、ONが定着するには心も体もそれが定着したという状態に変わる必要があるケースがあるとしましょうか。ならばこちらのblogに書いた
”潜在意識の自動運転もそもそも下地を修正する必要がある?”
という項と関わってきませんかね?行動修正を意識して行っての定着が良いような気がします。しかしこの泥臭さはあまり好かれません。面白くないからでしょうか?
冒頭に登場した知人も失礼ながら私が最初鍋敷きかと思ったフラワーオブライフのアイテムとしての効果というか、これが意味するところに神聖さなのか、そのパワーぶりみたいなものに魅入られているように感じた。
ピラミッドパワーとかも昔から言われていますし、魅入られる方も多いですよね。魔法の杖的なスキルやアイテムを手に入れたような全能感でしょうか? それを使うのは人間ですが、人間側について注目されることは少ないような気がします。
なにをどのように取り入れて、利用して、信じようが個々の人生の好みなので良いも悪いもないのですが、それらはやはり外的な要因なような気もしていて、それを使う側の状態にとことん注目している方はどのくらいいらっしゃるだろうか?
先ほど外的と表現したアレコレをあてにするようになったそもそもの目的、きっかけがあったと思うんですよ。こういった不思議系って面白いのは確かですが、それじゃないと本当には癒されないとか、神聖なパワーが受け取れないとか、本当のチカラはこれらだとか決めつけなくても良さそうだし、ただただOFFをONにする目的だけなら1回の呼吸で達成できるし、何かがないと癒されないとか、ナニカを使うと癒されるというような思想や思い込みから私個人は解放されたいと思う性質なのです。
ナニカのチカラを借りることも大切だが、独りでできるもん!ということも大切だと思っている。
こういったことが個々のストレスケアへのアプローチ法やご本人自身の取り組み姿勢というか、期待値よりも検証を重視するのか否かとか、見たいように見るということをちょっと手放したら見えてくる検証統計やメタ認知というか、そんなこんなを考えたりするんですよね。構造の理解というか。
だから、OFFをONにしたいだけなのか、OFFをONにするものにそれらに付随している物語も含めて過剰な価値を持たせるのか、OFFとかONとかは一旦脇へ置いておいて一歩踏み込んで内部の動き、反応、ざわざわに注視するのか?という辺りを私個人は真剣に考えて取捨選択したりしてきています。
フラワーオブライフもOFFはONになる。・・・で??それがなんなの?ということになるわけですが、この手の物語や業界や存在が好きな方はOFFはONになるとか、パワーがあるということが楽しくて喜びなのだろうと想像したわけですが、私が目指していたのは自分の人生がラクになることだったから色んなアイテムや現象の物語に心酔したり傾倒したりすることにはあまり意味がないということになっていた。あくまでも個人的な体感や経験として。
その側のアイテムや現象の物語を逆引き辞典みたいに自分の生きづらさ解消に使うのと、それらの物語の下に入るのとは異なるような気がするんですよね。自分の内外をいったりきたりするのは確かなんですが、スピ系や都市伝説系を知り過ぎて影響を受けすぎると自分の内外を行ったり来たりをしなくなるような傾向が無いかな? 上だか外だか、高次元だかの神聖だといつかのどこかの誰かが定義したナニカに同化したっきり帰ってこないとか、それらと同化した自己の価値観を爆上げして自己エゴ肥大したり、自分の内側など置き去りになってしまうケースが多いような気がしている。ただの弊社調べ感覚ですが。
毎回しつこいのですが、それらをご本人が求めているならば他者が何も言うことは無いんですが、私は自分がそれらを求めるのではなくて「楽になりたい」という目的でストレスケアをしてきて、楽になりたい方のサポートいう意味で相談業にも携わりましたので独特のテクニック重視じゃなくても、呼吸1回でOFFはONになり、自分で自分の肌に優しく触れるだけでもOFFはONになるし、ツボに触れるだけでもONになるというセルフケアも大切にしている。テクニックへのこだわりではなくて、思想や教えへの従順さでもなくて、大袈裟に言えば、それらセルフ煙幕になりそうなものを排除して自分に向き合うということをおススメしているような気がする。
テクニックが最重要視される業界もあるだろう。それはそれです。私が今書いているのは、自分の人生が少しでも楽になりたいという際の取り組みについてですから。
ですから、スピ系カウンセラーでは無いし、どこかやナニカからのメッセージもおろさない。ボディケアを多くしていた時期に不思議になにかが「視える」「感じる」というようなこともあったけど、あれらはメッセージではなくて相談者さんご自身の思考、思念、希望、願望がたまたま私の脳内スクリーンに照射された(ミラーリングですかね)ケースが増えただけだったと理解している。
そして、それを言語化したことで何やら他者へ影響を与えたようで、その影響を見て懸念したことがあったので律儀に言語化するのをやめた。
他にも多分スピ系に分類されることとか耳にした時にもその当時のblogに律儀に書いたんだけど、他者への影響を知って(書くんじゃなかった)と感じたんですよ。見聞きしたこと、体感などを記録のようにそのまま書いたそれは、ヒト様への妙な刺激にしかならないかもね、意味なんてないね、とそんなこんなも薄く一通り経験して私なりにいろいろ考えた。
健康とは?
私は前述したような他者への影響を善きことと感じないわけなので妙なマッチポンプの一端を担うのが嫌なんですよね。
あのマッチポンプ役を好んで行う方がいるのを知っているし、善きことだと思っている方が多いような気もしているし、それらの情報発信でヒト様から注目されることやヒト様に影響を与えることが快感に思う方もいるし、特殊能力っぽくて選民意識を得たような気持になるのかもしれないが、私の価値観では「健康」な感じがしないんですよね。
良い教えと言われていても傾倒し過ぎると禅病と表される状態を招くわけで、禅病と言われる状態を健康的とは感じないわけですから。そこから抜けにくいのは「善い教え」と思い込むあまりの自己の状態をメタ認知する余力の無さかもしれないでしょ?
そう、自分の違和感を表現すると「健康的な感じがしない」もの・行為の影響を他者に与えるのならそれをやめたい。OFFがONになればなんでもOKってことじゃなくて違和感があるものだってあるんですよ。不思議体験が神秘で素晴らしいとは限らない。
良い悪いというよりも、朗らかで健康な感じがしないという個人的な価値観でしかありません。習慣性や依存性や無思考になるものなど。
そういったものは有っても良いし、無くても良いけれども、無くても幸せに暮らしておりますし、朗らかに笑い声のある生活を送れて幸せです。
特別なナニカはなくても、自分が心から楽しくて笑っていられる現在の僥倖にただただ感謝しています。脳内がグルグルしなさ過ぎて考える力を消失した阿呆になった気すらしますが、ストレスケアの結果そうなったんならそれでいいやとも思っている。グルグルしている=考えているわけじゃない自分の過去の体験もあるし。
将来はわからないけど、今日現在の”イマココ”は有難いことだと感謝していて、長年アホほど愚直に地道にストレスケアを続けてきた過去の自分にも感謝している。途中考えることを放棄できなかったのも良かった。
私の違和感なども全然理解されないことも多かった、いや、ただのイチャモン言いだと思われたりしてほとんど理解されなかったかもしれないが、まぁ途中ブレたり迷ったりしながらも自分に正直に、違和感を誤魔化すことに注意してきて自分には良かった。
生き方も選択もヒトそれぞれです。
時々、後になって私の言っていたことが理解されることもあるし、逆に私が後になってアドバイスしてくれていたその意味を理解することもあるし。
人生生き続けると思わぬ風景が目の前に現れることってあるんだよね。


